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日々 「ぼんやり日々を送る」

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日々

自分は 何の脈絡もなく ぽんと書いてしまいます。
どうしてかなあ 脈絡をくわしくかくと あてさわりがあると 考えているからなんでしょうね。
ところで 自分は 「愛」という言葉に とてもこだわっているときがありました。 「愛」と表現されることの中には 偏見だとか かたよりだとか すぐに使ってほしくないだとか いっぱい持ち出しては 文句を云っていました。言うといっても いえないから こだわるのでしょうね。
そして72になって 
若い夫婦が けんかをして 仲直りをしていく時を 見ていますと 言い争いだとか いいわけだとか おたがい あいてのことを いっぱい悪く言ったり だまったり 泣いたりします。
そのあと どちらかがよわってるほうに いたわりの言葉をかけ あたまをふいてあげたり そんなことをしているうちに 相手はおだやかになっていくのですね。そしておたがいにも。
それが やっぱり いちばんの特効薬で そういうことが「愛」なんだなあと 自分は素直に認めるのです。
あのころ この特効薬のことが わかっていたら 四の五の言わず(この言葉使ってみたかった)もうちょっと こどもらにやさしく「愛」を届けられたのになあ。

さて村上春樹さんの「遠い太鼓」いきますか。

ローマ
ヴィラ・トレコリ

 ようやくローマに戻ってくる。シシリーから帰ってしばらくは、ローマでさえ比較的穏やかで平和な街に見えてしまうから不思議である。僕等は友人に手伝ってもらって、ローマ郊外に(ヴィラ・トレコリ)という家具つきのレジデンシャル・ホテルを見つける。郊外といっても都心からバスで十分かそこらのところである。もちろんちゃんとバスが走ればということだけれど。それほど広い部屋ではない。居間とベッドルームと小さなキッチンとバスルーム。ここに落ち着いて、しばらくのあいだ何をするともなくぼんやりと日々を送る。

えらいみじかいですが 部屋をかりるとき ここに落ち着いて、「しばらくのあいだなにをするともなくぼんやりと日々を送る」そうだろなあと ここのところで思ったからです。が同時に 今日は自分がちょっと疲れているから こういうふうになりました。 

《 2021.09.18 Sat  _  読書の時間 》