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武兄ちゃん

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日々 「武兄ちゃんの思い出」

私には3人の兄と 一人の姉がいました。
姉は昭和16年生まれで 生後100日を待たずしてうぶ風邪で亡くなったという
3人の兄のうちで一番丈夫そうだったのがうえから2ばんめのやっちゃん 3人目の兄も少なくとも武兄ちゃんよりは丈夫そうで お酒が好きだった。それでも 2人は武兄ちゃんより早く亡くなっている。
私は 一番上の兄だけ武兄ちゃんとよび 次からはやっちゃんとか いさおちゃんとよんでいた。
その武兄ちゃんが2018年末に82歳で亡くなった。 
杤尾武博士業績目録(成城国文学)を追悼のなかで見た。
13歳下の 妹としては その歴史を少しだけでもたどってみたいと 思った。父や母の歴史もたどってみたけれども 人は生きているうちに 足跡をのこす。自分も 残し続けている。
さて 武兄ちゃんは
著書
1968年『唐物語の比較文学的研究稿』
1991年『玉造小町子壮哀書の研究』臨川書店
2007年『漱石と石鼓文』渡辺出版
(けっこう感じむずかしいわ。ここらへんまでが自分の知っていたところです)
影 印・注 釈・改 題
1973年『附音増広古注蒙求・蒙求和歌』中文出版社
1979年 『百詠和歌注』汲古書院
1980年 木村晟と共編『唐詩選画本 五言絶句』小林印刷出版部
(いやー 続けるのできるかなあ)
1981年 山内潤三監修、木村晟と共編『玉造小町壮哀書』笠間書院
      木村晟と共書『唐詩選画本 七言絶句』小林印刷出版部
(絶句!)
1982年 山内潤三、木村晟と共編『和漢朗詠集私注』新典社
      『十八史略読本』1新典社
1985年 『国会図書館蔵和漢朗詠集・内閣文庫蔵和漢朗詠集私注漢字捜索引』新典社
1986年 『唐詩選画本』
1991年 『玉造小町壮哀書の研究』(影印篇)臨川書店
1993年 『貞和本和漢朗詠集』臨川書店
1994年 『玉造小町子壮哀書ー小野小町物語』岩波書店

C 分担執筆
1972年 「日本国語大辞典』小学館
1977年 『日本文学研究のために』新典社 「平安朝の漢文学」「中世の漢文学」
1992年 『角川大字源』角川書店
(なんかのってきたぞ)
1997年 『松平文庫影印叢書』新典社 『百詠詩集』解題
1999年 『いまは昔むかしは今』5巻 人生の階段 福音館書店 「女人百歳篇」「急相詩」

D  その他
1972年 『古今と諸集成引用書目録稿』桜美林大学文学部中国語中国文学科研究室
      『古今図書集成引用書目録稿』桜美林大学文学部中国語中国文学科研究室
1977年 『古今図書集成引用書目録稿』汲古書院
1980年『中国古典集成ー歳時部 七月七日』汲古書院
1990年 亀井孝他と共編『岩崎文庫貴重書誌解題』東洋文庫
(その何ページかという ことなんだな 書き写してないですが)(漢字間違っていないかなあ)

今日ははここまでにしときます。まだまだ続きまっせ。なんかこうして打っていきますと それを理解はできないですけど 武兄ちゃんは がんばってたんやなあとわかります。母が「にいちゃんもがばっとるんやから ほめたってな」と言っていましたが 母はどの子に対しても そういうふうに思っていたんだと。
親にしても 子供のやっていることは 少しだけしか見えないと思うんです。ただみんな元気でいる ということを 兄の本が送って来るたびに嬉しかったんだと思います。私は「さっぱりわからんわ」でおわっていました。 また 「手書きでこの本書いてあるわ」というところは そうしなくてはならない箇所だったのかとか わかるとまたびっくり 字がうまいからそれをみせるためではなかったのですね。(考えが浅い)

考えてみれば 武兄ちゃんは音楽も好きで チェロとかヴァイオリンをひいていました 父譲りだったんですね。私は音楽はきらいではないですけど ヴァイオリンもピアノも ものになりませんでした。子供用のヴァイオリンを私のために買って来たのですが 数回ひいただけで続きません。それでもとってあります。私はそれを「開かずのヴァイオリン」と名づけてずっと触りませんでした。
他の兄達は「もったいない オルガンだってヴァイオリンだって」となぜ末っこの私にだけ こういうことをさせたのかおかしいと思っていたのでしょうね。 いまだにわかりませんが。




《 2021.07.18 Sun  _  思い出 》