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モームさん

スキャン4838.jpeg『月と六ペンス』角川書店 昭和33年初版

田村正和さん 亡くなったんですね。いえね しんせきというわけではないんですよ、古畑任三郎ですか あの役は 真似した人がいましたねえ。あるインタビユーで喜劇はあんまり好きじゃないんですけどね
なんてこと言ってましたね。それでも この役を田村正和にやらせてみたいという話があった時には ことわると もうこないかもしれませんからね やってみるんです。みたいなことおっしゃってましたね。
ふむ プロだなあと感心しました。


偶然にもタヒチ島に旅をしたからこそこの本を書いたので、さもなければ決して書かなかっただろうと思う。このタヒチ島こそ、チャールズ・ストリックランドがさんざ放浪したあげく たどり着いた場所で

しかしタヒチ島では、環境が彼には好適だった。霊感を効果的に働かせるのにぜひ必要な条件が身辺にそろっていた。それはあたかも、肉体を離れてさまよい、住みかを求めていた彼の魂が、この遠隔の地ではじめて肉体の衣をまとうことができたようなものだ。陳腐な言い廻しをかりれば、ここにおいて自らを発見したのだ。彼とわかれてから15年もたっていた。

さて 「私」のこのタヒチ島での印象はと言うと
薄暗い深みには神秘さがある。そのような陰った場所では、太鼓から今迄ずっと、生の営みが太古のしきたり通りに行われてきただろうという気がする。ここにも、何か悲しいおそろしいものが感じられる。それは束の間の印象で、むしろ瞬間の喜びに更に鋭さが加わるだけである、それはちょうど、道化師のしゃれに、陽気な客達が笑いこける時、その道化師の目に宿る悲しみとでも言おうか、道化師の唇は微笑を浮かべ冗談は更に陽気になる。それというのも笑顔の最中にあって、彼は更に耐えがたい孤独を感じるからだ。

タヒチ島はにこやかで親しみがある。波止場にむらがってくる群衆は、陽気で愛想がいい。かしましい、快活な、身振りの多い群衆だ。茶色い顔の洪水である。強烈な空の青さを背景にして何か色のついたものが動いているという印象を受ける。何をするにも大さわぎだ、荷物を下すにも、税関の検閲をするにも。そして誰もがにこやかな顔を向けてくれる。すごく暑い。目のくらみそうな色彩である。


ストリックランドがこのタヒチにいたのは何年ぐらいだろう。「私」は生きて彼と会うことはなかったし
彼の絵は有名になっていた筈だ。
自分はゴーギャンの画集をとりだしてみた。絵を描きはじめた頃の作品、平凡にみえる。妻や子供達も描いている。小説と並べてみると その家族に関するところとか ちょっと違うような気もするけれども
また『月と六ペンス』をよみながら 画集を辿ってみたいと思う。この小説も 半分はゆうにすぎている
《 2021.05.21 Fri  _  読書の時間 》