大阪にいた頃 さかみちをくだるまでに
せんろがあり 源氏池があり サンコーモードがあり
保育所があり 機もの神社があり あぶらぜみがなき
おくのショップがあり お好み焼きを雑貨やのてまえで
やきそばとやいている おくさんがいた
細い旦那さんは きっとサラリーマン おくさんはつぶしのきく
豪快に笑う人
私たちのアトリエでは そうそうアトリエが もう少し坂を下りた所に
かくれるようにあり まいにちのように このお好み焼きを買って
お昼ご飯にしていた
いちおう 絵描きということで なかなか貧乏絵かきというわけで
近場のお百姓さんだとか このおくさんだとか おっかけては
描かしてもらった
おくのショップの奥さんは 部屋に上がり込んで 描かせてもらった
かがみのまえで お化粧を 忙しそうにする姿は ぜひかかしてほしかった
子どももスケッチしていたけれども ここまで手を広げていた訳
淀屋橋のマサゴ画廊で このスケッチは わらっていた
ご主人が この絵を見て 恥ずかしそうに笑って そこからは
おぼえていない
何年もして信州から この地をたずねたとき おくのショップは
なかった アトリエもどうかくれていたのか思い出せないくらいになかった
公民館 書くのを忘れていたけれど そこで おくのショップの事を聞いてみたけれど
さあ 知りませんなあ と若い衆にいわれた
え! 知らない?