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チュウリップ

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毎度云うようですが
学校で 毎度 図工の時間に 描いた絵といえば
さくら チュウリップ 神社 ほかに何があったかなあ
何度も描くと ちょっと...
それでね 大人になって その退屈なものを 
こんどこそは 違う角度から 描いてみよう なんてこと
思うんですよね
神社は とらいしませんが チュウリップはね
何枚か 描いています これはその中の一つです

話は変わりますが 阪神大震災のドラマを見ました
1995年でしたね 母はこの震災のまえの年に亡くなり
義父は震災のすぐ後に亡くなりました
神戸であんな事になってても 大阪だとうそみたいやなあ
そんなシーンがありましたが
長野県にいる私も テレビの画面を 何事も起こっていない部屋で
見ていました
友だちが この人は 兵庫県に住んでいるんですが そこも神戸とは
ちがいます いろいろ同級生の情報とか 娘さんが亡くなったとか
教えてくれました
火災にまきこまれた娘さんを引き取りに行く話 同級生と高校のとき
窓辺で あのころ何の話をしたのかなあ と セーラー服のともだち
を 思い浮かべました
テレビのドラマによりますと その惨状と そのショックから立ち直れない
人たちの心のケアをするお医者さんの話です
いつまでも 揺れているような不安感 助けを呼ぶ声にこたえられなかったことの
悪かったなあという気持ち ごったがえす非難施設の中での 眠れない事態
地震のゆれるまねごとをして 大人をイライラさせる子供たち
しばらくして 大人たちも少し落着いてきて 子どもの遊び場をつくる 
それらの 内からの現実を 記者に依頼されて書いたお医者さんの話です
20数年ぶりに こういうドラマを見て
あのとき 娘が宝塚に住んでいたら と 思うんです
夫は連絡の取れない息子が震災にまきこまれていないか 
新聞をたえず見ていました
そして 遠い昔の話にも 
神戸大空襲にあった母は家が燃え死体が転がるなかを にげて
生き延びた訳なんですが 母には つぎに 疎開している主人や子供の所に
行かなければならないこと 小学校の先生をしていたんですが
その事はどうしたのか やることがあって 動いていたとおもいますが 
そんな母は心のケアなしに いけたのか 一年前に亡くなった兄に聞いていませんね
すすでよごれたお母ちゃんの顔を見た時 悲しかったよとは言っていましたが
このドラマを見ていると いろんなことを思います
千曲川の氾濫とか すぐそばに災害はあります
テレビの日曜美術館では 災害にあった美術品の修復をやる人
かびのいってしまった作品
神戸淡路大震災からの復興にがんばった人たち それをほかの地の災害に
つなげている人たち 日本人ってすごいところあるなあ そう思います
そこに起こった事を書き記して やがてこういうテレビドラマになったり
それは 大切な事なんですね

チュウリップの話に戻りますけど
毎年咲く それは 同じような花ですが 
実は災難にあった人たちに
なにか 元気をくれる出来事かも知れませんよね
そういうことは 考えんかったなあ
どんなにして 今回は変ったチュウリップにしてやろうとか
そんなことだけじゃないのよね
 
《 2020.01.26 Sun  _   》