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扇子

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私の母は 1954年 戌年の最後辺りで 亡くなった
母は戌年だから そして律儀な人だったからねえ と
まるで母が彼女の干支にギリギリ死のうと決めたかのように
私は人にもそういっていた

母の枕元には扇子がのこされていた
結婚式の時にこれをひろげて 「たかさごや」をうなるというのかなあ
歌うと言うとちょっと違うような気がするし
父は校長先生をしていたから 生徒の結婚式に呼ばれると これをもっていったと
母に聞いたことがある
扇子はけっこうあった 扇子はあけるときにていねいにあつかわないと
きれいにたたみこまれているのに へんになってしまう
こどもは そのあつかいになれていないので 変になっている扇子もあった
風も 団扇ほど気持ちよく来る訳でもない
おりたたんで ちいさくなるのでバッグに忍ばせやすいという良さがある
さて 私はそういう話をしようとしたんじゃなかったな

この高砂やの扇子は いつごろ父母の手許に出現したのだろう
父母の結婚式の時? 
母はいつ枕元にこの扇子をおいたのだろう
母は とても現実的な人で ロマンチストだと思ったことはなかった
父は母より15年前に亡くなっている
父は母によっぱらっては しかられていた
それでもあいかわらずよっぱらうと お母ちゃんお母ちゃんと情けない声を出して
ふらふらしていた
この扇子が枕元にあるということ 私がそれに気がついた時には母は亡くなっていたということ 
私はいまでも この扇子のことを思い出す
母の生前の子どもとしての思い出とは別に 母は頭痛も気弱さももつ女性だったんじゃないかと
母は日記をのこしている そこには私を生む時 父が単身赴任でそばにいられないことを
不安がる箇所もあった ロマンチストの面も日記には記されている
この枕元の扇子は そこと結びついた
父は母につきっきりで看病されながらいった

《 2019.10.20 Sun  _   》