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こころ 夏目漱石

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こころ 先生と遺書 夏目漱石 つづき

ここでは
ーもし愛という不可思議な物に両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとしたら、私の愛はたしかにその高い極点をつらまえたものです。私はもとより人間として肉を離れることのできないからだでした。けれどもお嬢さんを見る私の目や、お嬢さんを考える私の心は、まったく肉のにおいを帯びていませんでした。
ーつまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでもひるがえすのでもなんでもなく、やはり依然として二人を接近させたがっているのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌むのだと解釈したのです。

お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念のきざさなかった私は、その時いらぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。


人間関係は 複雑なものなのか 男の「私」が考えることがややこしいのか
さて15では
奥さんがどういう事を考えているのか 確かめようとする
それは女が男のために、だまされるのも 女のほうが直覚に富んでいるのだろうと思っている。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていたという思い。それは考えてみるとおかしいと。人を信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていた。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思った。


正直な話 なんかもつれた糸のようで これが男の思いだから こっちにはなかなかわからないとしても これが女だと こんなむずかしいこと考えて分析するかなあと 思っているところです。 それから奥さんに郷里の事を話さなければならなくなるのですね。
奥さんが何かにつけて 国もとの事情を知りたがるからです。よくある話です。
それで話します。
私は二度と国へは帰らない。帰ってもなんにもない。あるのはただ父と母の墓ばかりだと
奥さんに告げると 奥さんは自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をしだすのですね。これもよくわかります。


わからないところがあると思っているのは 作者ではなく読者の私だと思いました。
小説家は きっとみんなわかっているのでしょうから。
それにしても「私」の お嬢さんに対するはじめの気持ちは ロマンチストではないですか?
 


《 2019.07.11 Thu  _  読書の時間 》