こころ 下 先生と遺書 夏目漱石
このまま人間の中に取り残されたミイラのように存在していこうか、それとも....
その時分の私は『それとも』という言葉を心のうちでくり返すたびにぞっとしました。かけ足で絶望の端まで来て、急に底の見えない谷をのぞき込んだ人のように。私は卑怯でした。
今回から 『両親と私』はおわって 『先生と遺書』になったんですね。
私は このところ 『両親と私』を読むのが 苦痛でした。 なぜかというと
私たちや 知り合いは 結構歳をとって来ており 病人がいたり きょうは検査をしてもらおう などとなると 不安になるのです。
だから こういう「私」の父の容態の変化は 身につまされるのです。
しかし 絶望の端の所の表現なんか ほんま こんな風に表現するんですね。
手紙の行き違いは 結局 「私」は東京に行くことになる?