「こころ」夏目漱石 先生と私 つづき
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二人とも父の病気について、いろいろ懸念の問をくり返してくれたなかに、先生はこんなことを言った。
「なるほど容体(ようだい)を聞くと、今が今どういうということもないようですが、病気は病気だからよほど気をつけないといけません」
先生は腎臓の病について私の知らない事を多く知っていた。
「自分で病気にかかっていながら、気がつかないで平気でいるのがあの病の特色です。私の知ったある士官は、とうとうそれでやられたが、まったく嘘のような死に方をしたんですよ。何しろそばに寝ていた細君が看病をする暇もなんにもないくらいなんですからね。夜中にちょっと苦しいといって、細君を起こしたぎり、あくる朝はもう死んでいたんです。しかも細君は夫が寝ているとばかり思ってたんだっていうんだから」
今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。
「私のおやじもそんなになるんでしょうか。ならんとも言えないですね」
「医者はなんと言うのです」
「医者はとても治らないというんです。けれども当分のところ心配はあるまいとも言うんです」
「それじゃいいでしょう。医者がそう言うなら。私の今話したのは気がつかずにいた人の事で、しかもそれがずいぶん乱暴な軍人なんだから」
私はやや安心した。私の変化をじっと見ていた先生は、それからこうつけ足した。
「しかし人間は健康にしろどっちにしてももろいものですね。いつどんな事でどんな死にようをしないとも限らないから」
「先生もそんな事を考えておいでですか」
「いくら丈夫の私でも、まんざら考えないこともありません」
先生の口もとには微笑の影が見えた。
*
うなずきながら 私は完全に聞き手になっています
命は そういえば一つしかないのだからなあ などと思いながら