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こころ 夏目漱石

「こころ」夏目漱石 先生と私 つづき

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 私は退屈な父の相手としてよく将棋盤に向かった。二人とも無精な(ぶしょう)な性質(たち)なので、炬燵に当ったまま、盤を櫓の(やぐら)上へ乗せて、駒を動かすたびに、わざわざ手を掛蒲団の下から出すようなことをした。時々持駒をなくして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。それを母が灰の中から見つけ出して、火鉢ではさみ上げるという滑稽(こっけい)もあった。
 「碁だと盤が高すぎるうえに、足がついているから、炬燵の上では打てないが、そこへくると将棋盤はいいね、こうして楽に差せるから。無精者にはもってこいだ。もう一番やろう」
 父は勝った時は必ずもう一番やろうと言った。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうと言った。要するに勝っても負けても、炬燵にあたって、将棋を差したがる男であった。はじめのうちは珍しいので、この隠居じみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、少し時日がたつにつれて、若い私の気力はそのくらいな刺激で満足できなくなった。私は金(きん)や香車を(きょうしゃ)をにぎった拳を頭の上に伸ばして、時々思い切ったあくびをした。


炬燵で 父子で将棋をやる のんびりとした光景ですね
しかし東京のことを思い出すと なんだか刺激が足りないような気がする
親のいる田舎では 昔のまんまで 炬燵のぬくもりのような日々ですが
私事になりますが 自分が田舎の親元を出て しばらくすると すっかり外の生活に馴れ
休みなどに田舎に帰ると刺激が少なくて 退屈したものです
それでも 幼い時からいる その田舎の実家が 子どもの頃は いちばんいいところでした
住めば都 これはそういうことなのかしらと 思うのですが 子供を外に出す時
大丈夫かしらと心配になりますが 自分の経験を思い出せば 子供はすぐに
今住んでいる所や職場が一番いい所になるのです
こんなところで 自分のそうしたことをくっつけるなんて おかしいんですけど

《 2019.03.01 Fri  _  読書の時間 》