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まねること 感動の一つ

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このことば いつ頃書いたのかなあ
で 今 これはどういうことかしらと 自分の書いたことに聞いてみます
絵を描いたりする世界では 「まね」というと あまりいい意味には受けとられません
贋作でしたか(漢字合ってますか?)
でも ゴッホがなぜこんなふうに描いたのだろう そう思うことはないですか? それを知るのは ゴッホの絵に興味がわいて来ること
ゴッホの筆のタッチを まねてみること いろんなものがゴッホの
絵に見えて来ること ここまできたら もう 濃いですよね
そこまでいくには 簡単ではありません でも とてもわくわくすることです
さらにレオナルドダヴィンチだとか クールベだとかゴヤ ルドン(今
画家の名前を思い出しているんです なかなかでてきません)こんな画家たちに近づいてみるのは その技術においても 容易なことじゃありませんね
そういう ことを言おうとしてるんです この言葉は 
ま・のりをは(こんな名前にしたこともあったんや)そのころ 自分でいろんな名前を つけるのが 私のブームだったんです

話は変わりますが 寒くなってきましたね
きのう「ジェーンに何がおこったのか」という映画をテレビで見ました
とても 怖くなる映画ですが それだけじゃないところが 深いです 
姉妹の話なんだけど
子役のときにお父さんと 華やかに活躍していた女の子が のちに姉のほうが有名になって 嫉妬のあまりけがをさせ 姉は 車椅子の生活になる というもの
一緒に住んでいても 妹は姉にたえず いじわるをする 姉は もう殺されそうになる
妹は 半ば狂っている
二階にいる姉は 何日かやって来るお手伝いさんに そのことで 助けを求めればいいのに それがなかなかできない
このお手伝いさんがなかなかいい人で 妹の悪行をよく知っている
ところが 妹はそんななかで お手伝いさんを 姉から遠ざけようとする
ここらあたりはミステリーというのか どきどきする でも目が離せない
姉にできることは 電話で助けを呼ぶこと 呼び鈴を鳴らすこと
かかりつけの医者にも 電話をするには 二階の電話は線がぬかれているので 一階まで 行かなければならない 車椅子で
でも身の危険を感じている姉は 階段の手摺にすがるようにして 車椅子をおり おそるおそる腕だけで おりる
やっと下まで おりて こんどは必死で 電話のおいてある所に たどりつく しかし 医者に事情を話している間に 妹が車で帰ってくる
妹は姉の電話をもぎ取り 声色を変えて 姉のようにして 大丈夫だといいかえる
医者は 行きましょうかとまで言ってくれたのに
それからは 妹に 腕を縛り上げられて しゃべれないようにタオルでしばられる
そのほかにも お手伝いさんが 彼女のことを心配して カギを開けようとしたら(カナズチなんかで)やはり妹が帰ってくる お手伝いさんは妹から部屋のカギを何とか受け取り 部屋に入ってその状況に驚く
しかし 妹にそのカナズチで背後から殺されてしまう
このように 何度か チャンスがありながら すんでのところでダメになる
しかし 妹も 悪ばかりではない 子どもの頃の思い出が 彼女を
狂わせていることが わかる
姉の預金通帳から 金を引き出し その家を引き払って 姉を連れて
海の見える 海水浴場までくる ここは思い出の場所なのかも(しっかり見てるようでも しっかりしていないわたし)
姉は 砂浜の砂の上で もう死ぬ一歩手前まで 衰弱している
まわりには 大勢の海水浴客が 姉はもう一歩も動けない
お手伝いさん殺人事件を調べていた 警察が そこの海水浴場まできて
いる
そして そこにいる客の一人が あやしい妹の車の苦情を(じゃまになっている) 警察官に伝える
警察官が その車を見ようとする(あやしいと思いはじめたのかは わからない でもやがてあの事件にたどりつくはず)
かたや 姉は最期の声を振り絞って あのときけがをしたのは 自分のせいだったの あなたがやったんじゃないの と言う
妹は びっくりする てっきり自分が姉をけがさせてしまったと ずっと 思っていたから
えーっと その展開におどろいているわたしに ビデオは(予約 テレビ)きれる! こういうことよくあるんですよ えーっ 
この映画の解説 きっとどこかぬけてる のりぞー 
《 2018.11.21 Wed  _  ちまたの芸術論 》