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顔というもの

アラン先生の授業 46 顔というもの

そして、このことこそ、俗にいう「生きているように描く」ことにほかならない。
 これは、結果をみれば、感得されることである。そこで、ほんとうのコケットリーというやつは、つねに、媚びまいとして、用心をする。そして、コケットリーのもっとも適切な動きは、つねに美しくあることへの拒否である。それは、ちょうど、精神というものが、あまりに多く理解することを拒否しなければならぬ、という前提を含んでいるのに似ている。ところが、現実には、コケットリーは、自然のものを引き下げ、約束事の価値を高めているのである。私は、娘に対する母親の忠告を、ここで、書いているような気がする。もっとも、私は、違う意味でいっているのだけれども。私は眺めるがわの者への効果だけを考えているのではない。私のいいたいのは、表徴を発する者のうえに強く跳ね返ってくる、あの表情の投げ返しについてなのである。美でさえも、それが賞讃に身をゆだねた瞬間からは、醜くなるものである。私がそういったことの証拠は、すぐに、見つかるだろう。覆いで包まれていない美は、たちまち、どこかとげとげしいもの、どこか不安なものを表現するようになり、ときには、挑戦的な一種の愚鈍さを表現するようになる。同様に、いかにも注意を集中しているかのような表徴は、注意そのものを抹殺してしまうものなのだ。本当によくものを見つめるときの観察者は、放心しているように見えるものである。
これだけいえば、人間の顔が、そのすべての様相によって、われわれをだますものである、という事情が、よくわかるだろう。私にも、悲劇で用いる仮面の意味が、やっと、わかってきた。あれは、変わることのない一つの型であり、そして、一つの役割を示す一つの型であった。深い感情の集合をかたどるにしては、一人の生き身の人間の貧相な顔など、もう余りに弱すぎたのである。

***

いやあ 疲れているのかなあ それとも理解力がとぼしいのかなあ
「先生 わかりません」というときは 手を上げませんでしたよね
コケットリーって 色っぽいこと 媚(女性の艶かしい態度)
それにしても 顔については 女のことが多いですよね

本当によく者を見つめるときの観察者、放心しているように見えるものである
これは いったい誰? 画家のこと?
変わるのが 生き身の顔 変わらないのが仮面?
そりゃあ 同じ表情で 眼つきで いてられませんよね
しかし モナリザさんは じゃあダヴィンチの妄想に過ぎないの?少しずつ変わって行くモナリザさんの 表情の どこをつかんで あんなふうにしたの?

顔について お客さん 読み込んで下さいね のりぞー
《 2018.11.09 Fri  _  読書の時間 》