これは2枚の なんだろう
しおりのように 本にはさまていた
孫の誰かが作ったもの
もうかぶとの全盛季節はおわったかな
せっかく出てきたから
忘れるからね
話は変わりますが
不登校という言葉が在り 引きこもりという言葉が在ります
昨日見たテレビでは ほらおぎママが出ていました
かたや 不登校真っ最中の若者
対談するように そう言う経験を持った 少し年上の若者たち
こういう 企画はあまりないらしいですね
学校という 義務教育の間は 行くべしという 場所
その集団の中にあっては いじめ これも言葉でよく在りますね
なじめないとか
先生や親はなんとかして 学校に行かせようと がんばる
今頃は学校に行かれない 生きたくないという選択は あってもいいし
他の選択もあるということを いわれはじめたわけで 新しいですね
その言ってみることから 次の話に移れるんだなあ そう思いました
学校というのは 集団である事はたしかで 群れて 行動する事が多すぎる
そう今となっては 自分も思います
面白い事も いやなことも ながい帰り道でいじめられたことも
そういうことを 親に話す事は無かったですね
わかりあえる なさそうだものね
親に話しても わかってくれる親も むかしも いまも 少なそうだしね
好きな事は ろー石集めに夢中になるとか そういうことは 親に隠してでも
夢中実現(こんな漢字あるの?)をやっていましたね
だから 学校がすべて嫌いというわけではなかったですけれども
今から考えると 学校というのは 窮屈な所ですね たしかに
現在 引きこもりの子が増えているのは どうしてなんでしょうね
窮屈さに於いては 同じような気がするんですけど
それだけ がまんできないことは やらないと どこかで言えるように
なって それにそう言う子がいるということが わかってきたら
そりゃあ 引きこもってもみたいもんでしょうね
だいたい 授業は 面白いという基準では あまりみてなかったなあ
点数だとか そんなことで ちょっと 考える所があったり よろこんだり
だけど 時間割を今でも なぜだか夢に見る事が在るんですが
あれ なんかの象徴なんでしょうね 夢の中では時間割が はっきりよめないんです
あわてるよな
学校だけで すべてだったのかというと 学校以外のとき 当然 あって
楽しんでたかもしれない
えっ 私の意見は なんの役にも立たない? すんません