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きりぎりす

きりぎりす 太宰治 つづき

家へ帰り、私は再び唖(おし)である。黙って妻に、いくぶん軽くなった財布を手渡し、何か言おうとしても、言葉が出ない。お茶漬けをたべて、夕刊を読んだ。汽車が走る。イマハ山中、イマハ浜、イマハ鉄橋ワタルゾト思ウマモナク、ーその童女の歌が、あわれに聞える。
「おい、炭は大丈夫かね。無くなるという話だが」
「大丈夫でしょう。新聞が騒ぐだけですよ。そのときは、そのときで、どうにかなりますよ」
「そうかね。ふとんをしいてくれ。今晩は、仕事は休みだ」
 もう酔いがさめている。酔いがさめると、私は、いつも、なかなか寝つかれない性分なのだ。
どさんと大袈裟に音たてて寝て、また夕刊を読む。ふっと夕刊一ぱいに無数の卑屈な笑顔があらわれ、はっと思う間に消え失せた。みんな、卑屈なのかなあ、と思う。誰にも自信が無いのかなあ、と思う。夕刊を投げ出して、両方の手で目玉を押しつぶすほどに強くぎゅっとおさえる。しばらく、こうしているうちに、眠たくなって来るような迷信が私にあるのだ。けさの水たまりを思い出す。あの水たまりの在るうちは、ーと思う。むりにも自分にそう思い込ませる。やはり私は辻音楽師だ。ぶざまでも、私は私のヴァイオリンを続けて奏するより他はないのかも知れぬ。汽車の行方は、志士にまかせよ。「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。何を待つやら。私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。唖の鴎は(かもめ)、沖をさまよい、そう思いつつ、けれども無言で、さまよいつづける。

***

水木しげるは激戦地ラバウルで そこの島民と仲良くなり 敵機のみはりをし 
その望遠鏡で 明け方のジャングルの美しい鳥や朝陽を見ていて 銃撃の音で
あわてて 逃げた。15メートルの大木の空洞の中を 近くに銃声を聞きながら走り
崖の所で なにかが闇の中 落ちてしまうところを 助かった。

この作家は 辻音楽師だという。ぶざまでも、私は私のヴァイオリンを続けて奏するより他は無いのかも知れぬ。「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。

それぞれに そのときに 何かがひらめくのかも知れません
戦地で 死にたくないと思い 必死で生き延びようとする兵士

太宰治は 自分は生きていて いいのだろうかと やっぱり 思っていたんだろうと
こうして 読んでいると わかってきます
そして今 この人は唖のかもめのようになり キリギリスのように自分の仕事をやる
それしかないんじゃないかと

この人 暗い事を暗い時代に 書いてるんだろうなあ そう思いながら 「かもめ きりぎりす」を読んでいたのですが このタイトルのことも 内容も 打つものが あって
それ以上の事を書く力は自分にはないのですが 読んでよかった
人はどう生きていいのか わからないというときも あるんですが 
兵隊さんは お国のためだとか 親や恋人や子供の為に戦っているんだ そう思いこんでいると それはどう生きるかとは別のところで はっきりしたものが在るのかもしれないと
でも そういうところにいない 作家や物事を考え続ける仕事をしている人は こういう風に悩んでしまう人がいて あたりまえかもしれないと。
そして 今も こんなふうにどこかで悩み 太宰治にうたれる人々がいるのは 当然の事かも知れません
この人は 自死してしまったけれども その事が結果だと 思わないようにしたいです
共感する所は 他にあるのですから

あの水たまりの在るうちは、ーと思う

 


《 2018.08.11 Sat  _  1ぺーじ 》