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きりぎりす

きりぎりす 太宰治 つづき

「僕は三十一です」
「それじゃ、Cさんより一つ若い。Cさんは、いつ逢っても元気ですよ。文学論でもなんでも、実に、てきぱき言います。あの人の眼は、実にいい」
「そうですね。Cさんは、僕の高等学校の先輩ですが、いつも、うるんだ情熱的な眼をしていますね。あの人も、これからどんどん書きまくるでしょう。僕はあの人を好きですよ」そのCさんにも、私は五年前、たいへんな迷惑をかけている。
「あなたは一体」と客も私の煮え切らなさに腹が立って来た様子で語調を改め、「小説を書くに当ってどんな信条を持っているのですか。たとえば、ヒュウマニティだとか、愛だとか、社会正義だとか、美だとか、そんなもの、文壇に出てから、現在まで、またこれからも持ちつづけて行くであろうと思われるもの、何か一つでもありますか」
「あります。悔恨です」こんどは、打てば響くの快調を以て、即座に応答することができた。「悔恨の無い文学は、屁のかっぱです。悔恨、告白、反省、そんなものから、近代文学が、いや、近代精神が生れた筈なんですね。だから、ー」また、どもってしまった。
「なるほど」と相手も乗り出して来て、「そんな潮流が、いま文壇に無くなってしまったのですね。それじゃ、あなたは梶井基次郎などを好きでしょうね」

***

「小説を書くに当ってどんな信条をもっているのですか。たとえば、ヒュウマニティだとか、愛だとか、社会正義だとか、微だとか、そんなもの、文壇に出てから、現在まで、またこれからも持ちつづけて行くであろうと思われるもの、何か一つでもありますか」
「あります。悔恨です」
「悔恨の無い文学は、屁のかっぱです。悔恨、告白、反省、」

ここらへんが この人のファンには たまらんのやろな
しかし たいがいの記者が 本人が先に信条とやらを述べない限り こういう言葉を投げかけて来るのかな。
「悔恨です」なんて 出てきてよかったなあ

話は変わりますけど
ふむ
何を言おうとしてたんかな そうそうこの「かもめ」急に「きりぎりす」になったり
はなしはつづいているのに おかしいなあ まあ 考えるのやめときます

それより 夫セイが 「運動靴の裏 なんかふんだんやけど それがめちゃくさいねん
どないかしてよ」
私は 見るのも嫌やなあと思いましたけど しばらくしてから 洗ってみることにしました。夫セイは 「くさいのとれた?くつの表側は ぬらさんとってな」と。
よく考えてみたら それって 小さい子どものいうことです。
さて 何で洗おうかな。 
そんなとき わたしはかってのゴミ拾いの経験で すぐに該当するものを思い付くのです。そこらへんに存在する(大げさ?)もので。 たわしなんですが そのたわしは 長い間 ろくな仕事もできず 大きいだけだったのです。
それで外の水道で ゴシゴシ洗って でもなかなかとれません。こういうとき鼻が利かない私は 年寄り病とは思わず よかったなあと思います。
「くつ うまいこと洗えたん?」と そとのバケツに干してある一足の靴の裏を じっと見ていました。
《 2018.08.03 Fri  _  1ぺーじ 》