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かもめ

かもめ 太宰治

君たちの、いい気な文学が、無垢な兵隊さんたちの、「ものを見る眼」を破壊させた。
これは、内地の文学者たちだけに言える言葉であって、戦地の兵隊さんには、何も言えない。くたくたに疲れて、小閑を得たとき、蝋燭の火の下で懸命に書いたのだろう。
それを思えば、芸術がどうのこうのと自分の美学を展開するどころでは無い。原稿に添えて在るお手紙には、明日知れぬいのちゆえ、どうか、よろしくたのみます。と書いているのだ。私は、その小説を、失礼だが、(私には、その資格が無いのだが)少し細工する。そうして妻に言いつけて、そのくしゃくしゃの洋箋の文字を、四百時詰めの原稿用紙に書き写させる。三十何枚、というのが、一ばん長かった。私は、それを、方々の職業雑誌に、たのむのである。「割に素直に書かれて在ると思いますから、いい作品だと思いますから、どうかよろしくお願いいたします。私みたいな、不徳の者が、兵隊さんの原稿を持ち込みするということに、唐突の思いをなされるかも知れませんが、けれども人間の真情はまた、おのずから別のもので、私だって」と書きかけて、つい、つまずいてしまうのだ。何が「私だって」だ。嘘も、いい加減にしろ。おまえは、いま、人間の屑、ということになっているのだぞ。知らないのか。
 私は、それを知っている。いやになるほど、知らされている。それだからこそ、つい、つまずいてしまうのだ。

***

この「かもめ」という作品の 半ページの重いこと
打っていて そう思うこの作家は 送られてきた兵隊さんの原稿の中身は いっこうに見せてくれない。どういうことが書いてあるのだろう
「そりゃあ、見なくたって わかりまさあ」と言う人は その時代の人ならあるのかもしれない
しかし よくないと彼が思っているものを 少し手を加えてでも 職業雑誌に持ち込むのは その兵隊さんが 戦地で苦労しているだろうという気遣いに他ならない
そういう風に考えられる人でなくては いけないと 多くの人が考えていた
これは どこか 自然ではないと作者は感じている
私の想像は あっているのでしょうか よくわかりません

はなしは 別のことだと思いますが
自分は 自分の絵を見て 「明る過ぎます」とお店で 絵を見てくれた人に 言われたことを よく思い出します。 そしてそのたびに 思うことがあるのです
「絵というものは どっぷりくらいぐらいのほうが おもおもしくて はっきりしてなくて いい絵に見えるなあ」と

「人間の屑」zazaiさん そんなに自分のことを 悪く思わなくても
かといって 職業雑誌に兵隊さんの作品を出したことだけを書くと...
Mr zazai  これは しんどいですわね(ほんまに わかってるんかいな 私) 
 
何年もまえの7月 芥川龍之介は 「漠然とした不安」と いいのこして 睡眠薬で無くなっていますね。


《 2018.07.24 Tue  _  1ぺーじ 》