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かもめ

かもめ 太宰 治

出征の兵隊さんを、人ごみの陰から、こっそり覗いて、ただ、めそめそ泣いていたこともある。私は丙種(へいしゅ)である。劣等の体格をもって生れた。鉄棒にぶらさがっても、そのまま、ただぶらんとぶらさがっているだけで、なんの曲芸も動作もできない。ラジオ体操でさえ、私には満足にできないのである。劣等なのは、体格だけでは無い。精神が薄弱である。だめなのである。私には人を指導する力が無い。誰にも負けぬくらいに祖国を、こっそり愛しているらしいなのだが、私には何も言えない。なんだか、のどまででかかっている、
ほんとうの愛の宣言が私にも在るような気がするのであるが、言えない。知っていながら、言わないのではない。のどまで出かかっているような気がするのだがなんとしても出て来ない。それはほんとうににいい言葉のような気もするのだが、そうして私も今その言葉を、はっきりと摑みたいのであるが、あせると尚さら、その言葉が、するりするりと逃げ廻る。私は赤面して、無能者の如く、ぼんやり立ったままである。一片の愛国の詩も書けぬ。なんにも書けぬ。ある日、思いを込めて吐いた言葉は、なんたるぶざま、「死のう!バンザイ」ただ死んでみせるより他に、忠誠の方法を知らぬ私は、やはり田舎くさい
馬鹿である。
 私は矮小無力の市民である。まずしい慰問袋を作り、妻にそれを持たせて郵便局に行かせる。戦線から、ていねいな受取通知が来る。私はそれを読み、顔から火の発する思いである。恥ずかしさ、文字のとおりに「恐縮」である。

***

ただ死んでみせるより他に、忠誠の方法を知らぬ私

この人の「死」はこんなところにあったのか
私は うなずいたのでした
この人の生きた時代は そして 徴兵制のときにその年頃だった人たちの
気持ち プライドは こんなところにあったのかと。
これは 一人の思いだけではなく 多くの若い人の中にも 周りの目にも
しみついた ことだったのだと

すぐ上の兄は 幼い時に その時代だった
戦後4年目に生まれたのが私。それから6年ほどたってから
兄は ドイツ兵の耳のかくれるヘルメットを「ドイツ人は頭がいいんだ」といいながら
描いていた。 
「ドイツは戦争に負けたのに どうして ドイツのことをそんなに自慢するの?」そう聞きたかったけど こわいので きけなかった。兄は私のことをよく思ってはいなかった。妹は頭が悪いと思ってたし だいいち不潔だとか ま 私は兄ほど潔癖ではなかったのだから。でも 兄に 知らず知らずの間に 染み付いていたことがあるとしたら 劣等だとかいうような 判断だったのかも知れない。それは戦時中の多くの判断。
絵は 銃にしても ドイツ兵にしても とてもうまかった。
よこで そのえんぴつの絵を見ていて あんな風に上手に描きたいとは思っていた。

なぜ 大宰治のこの文章を読んでいて こんなことを思い出したのかな。
なぜ この文章に「わかる」とおもえるのかな 私
情けない気持ちは それは いつの時代でもある。
あの時代には こういうところにあったのか
時代とともに ある 情けないこと プライド

変わらないものなんて ないんだな 
 


《 2018.07.19 Thu  _  1ぺーじ 》