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おじいちゃんの本音おばあちゃんの本音

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この話は 義父が 大阪交野市の わが家の近くの文化住宅に住んでいた話
をしています

つづき

ここらへんの気持ちは 私にしても同じだった
義父にしても はじめて来て 住む長野県 友達もそう容易くできず
不満が出てきた
夫は云った「おやじは本当は文化住宅で一人暮らしでもいいから
気楽に暮らしたかったんや」
同じ時に この長野県にやってきたのが わたしの母である
母は家族で神戸に住んでいた 
第二次世界大戦がおわるころまで
焼け出されたのだ
その後は父の実家のある兵庫県の福野というところに住んだ
45年 畑もあり 父やその両親そして幼くしてなくなった娘の
お墓もあった
朝早く起きて 家事をし ごはんも食べる そして畑で汗を流す

80代の老人にあった暮らしがそこにはあったのだ

しかし二人とも それ以上の暮らしがあると 期待をしたのかもしれない
義父は「温泉が出る」ということばに さそわれてきた
母は「老いては子に従え」ということばと「部屋にトイレをつける」
これらにつられて やってきた

しかし 結局トイレは実現せず 温泉だけでは 友達との旅行のほうが
よかった

「あーあ」老人のため息 「あーあ」われわれのため息
その老人との暮らしは 思ったより大変だった


この日記を読んでいると なんか うまいはなしはないもんだけど
まったくの 絶望でもない
孫はおじいちゃんおばあちゃんとくらした
私たち夫婦も ぐちをいいつつも みんなで くらした





《 2018.06.18 Mon  _  思い出 》