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エリュアールのこと

「ポール・エリュアール」

このフランスの詩人のことが 気になったのは 彼がガラの夫であったということからはじまる。ガラと言えば 画家サルバドル・ダリの芸術のうえでも ミューズとしていた女性だからだ。

なんて ちょっとえらそうな書き出しからですが。 
わたしは家の本棚にあった 「エリュアール詩集」を開いてみたのでした。
まずこの詩集は カバーがとても汚れていました。1969年発行 訳者安藤次男
発行所思潮社です。
この詩人が エレーヌ・ディミトロヴィニ・ディアコノーヴァ つまりガラ(ガラのほうがよっぽど簡単に呼べますね)と知り合ったのは スイスのダヴォスのサナトリウムで
1912年に入院患者として知り合ったのです。彼女は文学好きのロシア生まれの若い女性。結婚をしますが実際には1916年から1929年までです。ガラがエリュアールの親友のダリのもとへ走ったからです。
しかし1932年にはマリア・ベンツという女性が現れます(ニッシュとよんでいました)。よかった。
この頃は 第一次世界大戦で彼は歩兵として前線に動員されています。動員後病気になって後方送還されていますが この戦争体験が 詩人としておおきな啓示になっています。
ガラとの出会いと苦悩も啓示になっていますが。

ここまでが 自分のこの詩人の本を手にして 「そうだったんだ」というところです。
というのも ガラが最初 どんな人といっしょになっていたのか 実は知らなかったからです。それにダリといえば奇行の多い芸術家だと思いました。
ガラは彼のミューズになって 絵の中に よく描かれているものの 「ミューズってこんな感じなの?」と若い頃思ったものです。でもみんなのミューズじゃないから ダリのミューズだからこれでいいんですよね。

詩を読んでみました。訳をした人が 難解な詩と書いています。 
戦時中の詩は すぐそばにある「死」 食べることに必死なところ。
戦場 虚偽と貧困に抗する詩。フランスの自由が未曾有の危機に追いこまれた
1942年にはフランス共産党に入党します。 
このことは 石橋をたたいてついにこれをわたった エリュアールの姿は、いかにも鮮烈な映像をのこす そう書いてあります。

戦時下における 緊迫した空気ですね。
愛をうたいもしましたが 
戦争に出会った エリュアールなんですね。

こんな詩があります

心配

森には 墓はない。
暗闇が 脱走を待っていた
ぼくらが光明の方へ向けて こころみる.....
みんなで、木の枝をへし折って

小休止のとき 彫る木の幹は
もうぼくらの小刀を 識るまい。
「足をゆるめたい者は ゆるめてよろしい それだけだ」

誰か ぼくらの行く先を知ってるか?

鼻いっぱいに 青草の香がする。
空いちめんに、空いっぱいに、燕がとび
ぼくらはたのしい ぼくらは夢みる
ぼくは 静かな希望の訪れを夢みる.....
   *
夜がぼくらに見させるごとく 一切のものがまちまちだ、
人々の顔も 栄光の約束も。

***

自分は この詩のことがよくわかっているわけではないのですが
戦時下 銃弾がとびかい 殺し合いがつづくところ。
もしかして彼は鼻いっぱいに青草の香りのする 空一面に燕がとぶ
そんな所を 行軍していたのかもしれないと 想像したのです。
これは ばらばらの光景ですよね。
そういうことを 詩にしてるんじゃないかと。

人は 日本人でもほかの国の人でも 戦時下 歩きながらどんなことを
思ってたんだろうと。自由なのは 頭のなかだけですよね。

それから もう一度読んでみるのでした。

できるだけ早く歩け
こいつが ぼくらの優しさ 貧しさ

雨かぜの中で 生暖かい家を見つけて
飲んで一と休みできる満足
ぼくの騒々しい戦友たちは 頭巾外套を振った、
いつまでもかれらを捕える この幸福を
あとになって 夢に見るため かれらはつよく叫ぶ。
その大仰な身振りは 戸外の厳寒を恐怖させる。


  

《 2018.01.08 Mon  _  1ぺーじ 》