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読んでみようかな ヘンリ八世

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「ヘンリー八世」シェイクスピア 坪内逍遥訳 中央公論社

いいましたよね 「シェイクスピアの本はさわってみるだけ」
でも それだけでも 出会いはあるものです。

テレビで プロファイラーという番組で 「エリザベス一世」のことが出てきたのです。
いまは 高齢のエリザベス女王が 女王ですが この一世からすると何世?というはなしになりますが それは話の中に出てきましたかね。
1603年3月24日 69歳でエリザベス一世は亡くなっています。
エリザベス一世が即位したのは1558年。
エリザベス一世はヘンリ八世とアン・ブーリンの間に生まれています。
そこで シェイクスピアの「ヘンリ八世」ですよね。この上の絵のでっぷりとかっぷくのいいのがヘンリ八世です。ヘンリ八世はその前にほかの奥さんの間にメアリ またほかの奥さんとの間に男の子もうまれています。やはり男の子が 王位継承者になるわけですが
そのこがうまれるまではエリザベスだったのです。王位継承者 もう扱われ方が全然違うわけです。それに メアリもいます。エリザベスのお母さんは幽閉されて殺されています。
王位争いは熾烈を極めます。エリザベスも4年間幽閉されています。こどものころからこういう世界を見てきたであろう エリザベス そういうことからもいろんなことを考えることが出来る人になったんでしょうか。 頭がいいこともありますが 女王の素質と
国民を引っ張る力も備えていました。生涯独身を通して 名セリフに「私は国家と結婚した」があります。

あの時代に シェイクスピアは どういうふうに「ヘンリ八世」のことを書いたんでしょうか 知りたくなりますよね。

このエリザベス一世のことを描いた映画は 見ましたよ。衣装なんか めずらしくて 興味深いですね。 今度その気になったら こういう服を模写してみたいな。人生そんな時間あるかな。
ヘンリ八世は 娘や息子の父親ではありますが たしかキリスト教で 妻は一人だけ というのはカソリックでしたっけ? ヘンリ八世は ここらへんはどうだったのか。 愛人は妻ではなく なんてこともあったのかもしれません。世間ではゴッシップ それが演劇の始まり?
そんなことを 歴史をよく知らない私は想像をふくらませてみるのです せっかく「ヘンリ八世」というシェイクスピアの本がここにあるのですからね。

たしかイギリスがスペインに勝った時ぐらいから シェイクスピアなんかが脚本を書いていますね。役者に舞台で演じさせることが始まっていくんですかね。
江戸時代でも役者の演じる舞台は大流行りだったと思います。商人なんかが活気づいて来ると そういうことは活発になるんですかね。
イギリスでは 東インド会社や貿易でもうけ 海外に植民地を作り がっぽりバブルの時代だったから余裕ができたのでしょうか。「ベニスの商人」はイタリアのベニスの商人ですね。 外国のことを書いたり 客はそれを見て もりあがったのでしょうね。ヘンリ八世も既に亡くなっていましたでしょうが どういう風に描かれているのかな。

外国とは スペインとイギリスは大きな戦いがあります。そのときにエリザベス一世は自ら出陣して志気を高めたそうですね。
いかにして 戦いに勝つか それだったんですね。

日本は1603年に徳川家康が江戸幕府を開いていますね。
日本も江戸時代まで 戦いに明け暮れていましたよね。

ちょっと「ヘンリ八世」読んでみようかな
《 2017.11.11 Sat  _   》