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ジャコメッティ

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「スタンパ村 ジャコメッティのふるさと」

ジャコメッティのふるさとはスイスとイタリア ヨーロッパの 北と南の結節点ということらしいです。
私は 北イタリアの 向こうの方にアルプスの山並みの見える こだかい村に つれてってもらったことがあります。そこにはイタリア人の年配のチェイザレさんが コック長をするレストランがありました。そこに日本からきた 若い見習いの男性がいて そのこともあってか 宿も とても暖かい感じで まかないのおばさんなど 言葉がわからなくても わかりあえるような人でした。
テェイザレさんは絵が好きで そこいら中に素朴な絵が かけてありました。
その後 テレビのドキュメンタリーで イタリアのこういった山あいの村は 戦時中 日本と同じように食べ物もなく 苦労した村人たちがいたことを 知りました。

このことが スタンパ村とどう関係があるかって?
新潮社の「芸術新潮」の特集「ジャコメッティ」を見て行くと 何か自分が訪れたあの村と そのスタンパ村は 同じような などと思ってみたくなるのでした。 寂れた 日陰の多い 石畳のスタンパ村。 
 
「スタンパ村の南側に険しく切り立つ3000メートル級の山々。ギザギザと小刻みに震えるその稜線と、ごつごつとした山肌のテクスチャーは、ジャコメッティの彫刻作品を思わせる。」
本当にそんな山の写真です。山が生きている 震えているとジャコメッティは言ったんでしたっけ?
 
なんだか このまえ 新潟の糸魚川の海岸で拾った沢山の石を 布作品の上に
並べてみたくなるのでした。関係ないですよね。
一枚の布には 子供たちの小さいとき いぬのミッキー こどもたちのおじいちゃんなどを描き込んでいます。全く見えませんね。
もう一つは黒い布と糸やひもの間にむかしの櫛や顔をはめこんでいます。
赤いぐんては 赤いというだけで おきました。ああ ちゃらいなあ。

きのう「ジャコメッティはきょうでおしまいよ」と確かに書きましたよね。
ところが この芸術家の影響は あんがい 私には強かったんですね。

自分の子供の時の思い出は 距離からすれば とてつもなく遠い。
山の中を一人歩いている 子どものわたしは ぼんやりと はっきり見えません。寒そうな山々 なつかしいけれども そこで一緒に住んだ人たち 自分はふるさとから つながるものってあったのかなあ。ふるさとにいるときは山などを描いていたけど

ジャコメッティの「まなざし」は描き続けることで つかめないと思うまでのところにいってたんでしょうね。すぐつまかめるものなど 大したことないのかも。

ジャコメッティはこうしてみると ふるさととつながってますね。
生と死 遠い人体 はっきりつかめない消えて行く肖像 震える人体。
それは「ただ見る」ことをさせるスタンパ村のなかにあったのかも。自然を描き続けたセザンヌも 「ただ見る」 そこに夢中になったのかも。

 すごい芸術家って 何かをつんだという程度の人じゃないんだなあって。
生まれたところからその芸術は始まってるというのか。 それは自然という人体。そこに歩いて行こうとする 未完成という認識を持ち続けている人。

これ以上いうと舌をかみそうなので いずれまた

    
《 2017.11.09 Thu  _   》