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ジャコメッティさん

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「ここにあること」NEKO美術館発

ジャコメッティについて 書いてあったこと
その彫刻 絵と彫刻を 同じ風に考えていたこと
それは そこにあるということ
モデルはジャコメッティに表現されて その後 それについて
なにかいわずにはいられなくなるらしい
遠くにいる人は ぽきんと折れそうなくらい細くて やがて消えて行く
なるほど そのとおりだね でもその作品を見る人は これは新しい芸術だ
という えらい個性だと
ま どっちもわかります はい
 
一生懸命に捕らえようとして とらえられなくて そういうジャコメッティ
あの彫刻は 省略したり 削っていったりしたんじゃない
彼としたら つけたしていって ぎりぎりのところで とめようとした
彼は 背景など問題じゃなく 体とそこにあるだけで ええっと なんていったんだっけ?
描いても描いても 完成はない なんてこった

読んでて 私は なんてめんどくさい人だろうと 思ったけれども
この2、3日の間だけ 読んで見てみようと思う

共通項は? いつものように見つけてみよう(いつも ほかの時でも)
肩を並べるのは 私には その人を尊敬することと 同じよ

絵を描くように彫刻をした
私も 絵を描くように 布を相手にしたり 写真だったり 文だったり
それ 共通項

で 今日自分が出会ったこと この上の写真も 指先でカードのように
沢山の中から 引っ張りだしたことだけを
思う
この写真はすべてを見せてはいない 偶然
私は その部分を許し 書き手の 癖のある文字と
かすかに 思い出す 何十年もまえの人の顔
自分も 苦手なグループで 作品をもちよることをしたこと
私の絵を見て 「のりこさんに会ってみたいです」とアンケートに書いてあったので
どきどきして こっそりおりたたんで ずっとだまってて だいぶしてから 友達なんかに 言ったら なんか急に 寂しくなったこと
この写真の情報は これぐらいかな
それでも この他人にはなんのへんてつもない 意味不明の写真にも 情報がある

ジャコメッティは そのモデルと向き合いながら 自分自身にまなざしをむけていたんじゃないか といった人もいる
それにしても 彼は 追求しつづけている
おわりがないのだ おわりたかったのかも 定かじゃない
とにかく 議論を呼ぶ作品たちなのだ
彼自身 よく喋ったと言うから 議論を呼ぶ作品というのは
彼にぴったりかも知れない

私は このジャコメッティの作品と ジャコメッティについて書かれていることを 読んでみると いったい自分はどんなところがあるのだろうと 見て表現してみたくなる

で 自分は どうやら物事のかけらを そっとつまんでみたり 風のようにそのうえを飛んでみたり にげてみたり そんなことをやってきたんだなと
多くの芸術家たちが やってきたことは 苦しんだあげくに まだ未完成だと 思っていたりすること
私は そのかけらや未完成が大好き 苦しむことは あまりしなかった
 にげることも 結構楽しんだ 深く掘り下げることも しなかった
こんなに長い間 そうなのだから それが私なのだろうかと

写真は 絵ほど窮屈じゃなかった 布はいい感触で あとで肩がこったな
ぺらぽんなんて 最高だった リズムを取って踊ってるみたいでね
かけらの好きなやつです

ジャコメッティは手で表現する

自分も なるだけ 写真も 絵も 文も 
手や目で 感じ取ろうとしてた
自由に
ところが 自由は単独では ころがっていなかった
やっぱり 自分も つかめないものを つかもうとしてたな
でも ジャコメッティのように しつこく追求することは この私には できません

さ 忘れますよ ジャコメッティのように ややこしいおっさんの話





《 2017.11.08 Wed  _  ちまたの芸術論 》