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2枚の絵

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「花たち」 2017

上は 切り絵で 山下清の「金せん花」 下はジョージア・オキーフの
ええっと てんじくあおい・ かちょうせんあさがお?

いずれも わたしは びっくり・ぽんですわ(朝ドラ経由 だいぶまえの)
これは かって絵描きになろうと思ったころの癖なんですが
「わたしも 花 描こう」と行きかける癖です

今は 「もう こんな絵 すごすぎるわ ちょいちょいとはいかんわ」
そう思います。のこされたことといえば こういう人の絵を じっくり
ながめることです。
ながめる人ってたくさんいるんやろなあ
描く人が たくさんいるように

金せん花を描いた 山下清 
この人はこの花を紙の上に平たく寝かせて描いたのかなあ
それとも 外でスケッチして来て 特殊な記憶力でもって
描いたのかも
背景を先にはっつけて そのうえにこの植物をはっつけた?
あとで植物の間に背景をはっつけるのは 大変だもの
よくも金せん花だけにしたね。見るものにとってはそこが素敵なんだけど。
葉っぱの形も みんな違ってない? 何を根拠に 違うわけ? その通りに作ったら
違ってたというわけ? 人それぞれ頭のなかのことは違うのかもしれないけど
「長岡の花火」だって「天は二物を与えず」っていうけど この人の場合 なんだかわかりやすい気がするよね。
山下清の自画像 絵はがきで持ってるんだな。せんたくばさみではさんで 見えるようになってる。時々目が合うんだけど この自画像 感情抜きで描ける人って 少ないんじゃない? だって 表情はぴたっと止まってて  

ジョージア・オキーフ

オキーフの描く植物をみて「性的なものを感じる」と言った人がいて
オキーフはたしか「花だけを見てかいただけです」と言ったと思う
わたしも「そうだそうだ」とオキーフのみかたをしたんだけれども
「オキーフが意識していたかは してないというんだからそれでいいんだけれども
花はおしべに花粉をつけてもらって 子孫を増やすんだから 性的であって当然」
そう思うようになった。ここでわからなくなったのは おしべだったっけ めしべだったっけ?ということ。はなはおおらかですよ。自然というものは。
オキーフは 花を 大きく描いていますねえ。画面からはみ出しそうなくらいにね。
輪郭線もない。とてもシンプルに見える。
こんなにシンプルで大きく描き始めたら 小さくは描きたくもないだろうな。
いや あるかもしれない 小さいのがね。ほりだしものだね オキーフの小さな花。


《 2017.10.15 Sun  _  ちまたの芸術論 》