「生きるとは自分の物語を作ること」考える 新潮社 2008
河合隼雄 小川洋子 対談 つづき
河合 人格で思い出しましたけど、アメリカのプリンストン大学で学生たちに日本の映画を見せて、意見を聞く会をしたんです。
ところが見てもらった自主映画に、男女が絡み合うようなシーンがあった。女子学生がものすごく興奮して、「あんな淫らな映画を日本人は作るのか」って怒るんです。「ちょっと淫らかもしれんけど、芸術作品の中の許容」と答えると、「あんなのは許容範囲じゃない。日本人はこんなものをファミリーで観に行くのか」とかあんまり言うから、こっちもだんだん文句言いたくなって、「そう言うけど、プリストンの町の外れの町へ行ったら、ものすごいポルノやってるやないか」って言ってやったんです。そうしたら「私たちは絶対に観ない。あれは観てもいいと思ってるやつが勝手に観てるんだ」て言う。
その後学生たちと飲みに行って、散々ビールを飲んだ後で「あなた方の倫理観の厳しいのには感心したけれども、あなた方だって、プリンストンでは観ないかもしれないけれど、東京やパリでだったら、ちょっと観るのとちゃいますか」って言ったんです。
そしたら、「質問の意味がわからない」と言うんですよ。
小川 観ないって言ったら、観ないんですね。
河合 その次がもっとすごい。「われわれはああいうものを観ないという人生観の下に生きてきたんだから、東京であれパリであれ、観れば人格が崩壊する」って言うんです。すごい。
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このアメリカのプリストン大学の学生と河合さんの会話は 面白いですね。
日本映画の中で男女の絡み合いのシーンを 学生が観て すごく怒るんですね。
しまいには 「われわれはああいうものを観ないという人生観の下に生きて来たんだから、東京であれパリであれ、観れば人格が崩壊する」というんですね。
どういうところが 驚いたのかと言うと そういう考えをもった人は 日本女性でもいますし 決して少なくはないと思うんですよ。だけどここまではげしく くいさがって否定する前に 日本だと話題を変えるとかひっこむとか あいまいにしようとするんじゃないでしょうか。「絶対」というものが われわれより強いんじゃないかと。
絶対というものはないんだ なんてこと兄が言ってましたけど もしかしてこの国の一面でしょうけど 一歩譲ったら負けになる そんなところがあるんではないの?と。
どういうふうに 次は河合さんたちは話してくれるのかなぁ
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「のりこ人」はですね この野菜 もらってきたんですけど 名前が出て来ないんです ずっと。これ でかくなると 孫のあんよぐらいになるんでっせ。
草間彌生さんが かぼちゃのオブジェをつくったでしょう。「なんでそこでかぼちゃなん?」と思いませんか。
でも たまねぎでも こういう野菜でも はじめは種から はじまるんでしょうけど
そういうことでなくて うまくいえませんけど とにかく やさいを一度は撮ってみたくなるんです。