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生きるとは

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「生きるとは自分の物語を作ること」 考える 新潮社 2008

河合隼雄 小川洋子 対談 つづき

小川 子どもの頃からそういう環境にいたので、金光教の教えというのが、自分の中に否応ないものとしてあります。金光教は、神様と人間の関係を作っていく宗教なんです。そしてその関係はまだ確立されていない。なぜなら、神様のことを「親神様」と言う言い方をするのですが、要するに神様は親なんです。氏子というのは子供で、親神様と氏子が親子の関係を作っていくことが信心するということ。神様は親として、氏子たちが悩み苦しんでいるのを見て、心を痛めている。金光教で一番救われていないのが神様なんですね。ですから信者たちは神様を救うために、信心をするんです。
河合 なるほど、いや、すごいですね。
小川 キリスト教とかユダヤ教とかの西欧の一神教とは全く違う考え方なんですよね。
 この金光教の考え方で究極なのが、「死んでもままよ」ということなんです。死ぬってことも親神さまの計らいだから、何も怖いことはない、どんなことも神様の計らいで自然にそうなっているんだから、任せておけばいいという、なんとも消極的な宗教なんですね。「こうしなくちゃいけない」とか「こうしないと救われない」とか「これをしてはいけない」とか、そういうことがない。教会のお参りも来たければ来ればいいし、来たくなければ来なくてもいいっていうところもあります。
河合 それでも自分の親を敬わないかんとか、そういう考え方はあるわけですね。
小川 ええ、そうですね。そうしないと神様が悲しまれますよね。親を虐待していては。

***

神様を救うための宗教 
神様を悲しませないための宗教
そうですね 私は 神様に 「助けて下さい」とか「ありがとうございます」とかで
手をあわせていますね。どこか金光教とは違う感じですかね。
「神様 大丈夫?」人間が気を使ってあげるなんて ね。氏子(子供)は親神(親)を救ってあげるという役割を持っているなんて 素敵ですよね。


「君に見向きもしない」
テレビでの一場面ですね。
謎ですよね 前後関係がわからないからね。
画面は 一枚の絵のようなもの なんちゃってね
《 2017.09.04 Mon  _  1ぺーじ 》