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父のおフトン

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家族の履歴書 NEKO美術館発

わたしは5人兄弟の末っ子です。
8つ上の姉は うぶかぜをひいて あかちゃんのときに死にました
13上の兄は 洋子の赤ちゃんの時の絵を描いて 「学校で賞状をもらったんだよ」
といいました。「その絵はのこってるの?」とわたしが聞きますと「なくしたんだよ」と「戦争で焼けちゃったんだよ」このどっちだか わたしはすぐ忘れます。
どういうわけか 姉のへその緒は 自分が持っています。
どっかの新聞の本の広告にありましたけど 10歳までに亡くなった子どもは、母親とともにこの世で過ごす」と書いてありました。
それがわかってたら 母の悲しみは少しは ましだったもなあ ともう 母死んでこの世にはいませんが そう思います。
父や母は 死んで 「ああやっと会えたね 会いたかったよ」そういって喜び合ってるものと想像していたからです。

はなしはかわりますが ここに「父のおフトン」という私の画集の「あとがき」があるんですが いまその下書きが 出てきてるので 続きを書きます。
手前も ちょっと下書きより丁寧に 書きましたが。
「私は 長い間母のおフトンで母にくっついて寝ていました。きっと皆さんよりは長い間だと思います。父はふすまの向こうの 開いていましたが それは私は 父のフトンを飛び越えて その向こうにある縁側のオマルに 走らなくてはならないからです。
かえりには 父のおフトンに たまに入るのですが 父のところはとても寒いのです
だから すぐぬけだして 母のところに行きました」
父は体温が低かったのでしょうか 風邪をよくひきましたが 私が生まれたから 母と一緒に寝るのを 遠慮したのかもしれません いやいや 本を見ながら ねたばこをするために いや 父の両親の仏壇の前に家長として 仏壇は父の手作りです 
いろいろ 理由を並べてみましたが で 姉の写真が一枚もないのは 残念です。
3人の兄とちゃんばらやら キャッチボールやら 魚とりやら 男の子の遊びが多いです。母のそばで10歳までいてたんだったら ええっと私は2歳か 話にならないですよね お人形さんごっことか。
で 母はもちろん姉をつれてったでしょうね 1994年の年末に。そうするとええっと
68歳の私は 母とも姉ともいっしょにいれないわけで 
3人の兄のうち2人はもういません。だから今は2人兄弟です。
あのときの「あとがき」はおフトンのようにふくれあがりました。うまくつなげたつもりなんですけど。

この写真は 夫セイの作品です。写真は私がとりました 沢山ある写真の中から手に取ったのが きょうの運勢です ちがうなあ どうつながるか みなさん 想像してみてね

《 2017.08.30 Wed  _   》