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ピカソとその周辺

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「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳

この本の続きは ちょっと他の本に移りますが 寄り道ですね。
「モンマルトルのスターヴィーナスたち」FRaU 1992 講談社

恋人の出現で「青の時代」から抜け出たピカソ

 メトロの駅があるアベス広場から階段を登っていくと、斜面になるエミール・グードー広場に出る。この広場の脇に「洗濯船」と呼ばれるアトリエ長屋が建っている。ピカソは1904年にここへやってきて、ここで5年間生活した。しかし、洗濯船での生活は、この上なく不便で辛いものだった。部屋には電気、ガスはもちろん、水も出なかった。唯一2階に1ヵ所、水が出るところがあり、住人たちは、毎朝、まず水をくむために狭い廊下に長い列を作った。部屋の壁も板一枚でしきられていただけである。夏はサウナのように蒸し暑く、ピカソは裸同然で制作した。冬は冬で、凍りつくような寒さで絵筆が握れなかったこともあるという。
 それでも、まだ彼は恵まれていたほうである。住人のなかには、ベッドのかわりに古新聞にくるまっていたものもいた。同じ階の画家、ヴァン・ドンゲンなどは 妻と娘との3人暮らしで、テーブルと長椅子とゆりかご、それにイーゼルを置けば、あとは足の踏み場もなかった。絵のモデルは仕方なく、ベッド兼用の長椅子に横たわるようにしてポーズをとったと言う。ドンゲンはカフェで似顔絵を描いたりして暮らしを支えていた。

***

今日は広島に原爆がおとされた日です。 
なんと おそろしく暑い日に 広島の人々は いたのだろうと。

私は 2階で 扇風機をかけながら アイスノンを首に巻いています。
原爆投下の日 洗濯船 そしてこの自分のいる所 こうしていくと 私はなんて恵まれた所にいるんだろうと 思ってしまいました。

ところで ピカソの「青の時代」はいったいピカソがいくつぐらいの時だろう と わからなくなるのでした。 原因は 忘れるからです。 オリヴィエと共に暮らし始めた頃はこの「青野時代」のあとなんですね。こうして 何度か納得しては 忘れてしまう私なのです。そして青の時代は20歳のころで 貧乏暮らしで(親からの仕送りはなかったのかしら?)。
それからオリヴィエと暮らしはじめる やっぱりこういう狭い ガスも電気も水道もないと そんな生活なんですが いままで「ピカソとその周辺」で読んでいただいた通り 彼女の出現で 「青野時代」からは抜け出るんですね。そういう意味では ピカソは何人もの女に出会いますが オリヴィエは特別なんじゃないかと。

ヴァン・ドンゲン この画家を私はじつはよく知らないんですね。
ピカソはそれでも2人と猫ぐらいだったでしょ 一緒に住むのは。
ドンゲンはゆりかごといえば 赤ちゃん それと奥さん いやあ大変ですね。

この生活ぶりからだけでも ピカソたちは 外の国からやって来て 苦労してますね。
オリヴィエはパリの出でしょ。そこだけでも 言葉 食事 ピカソはだいぶ助かったと思いますね。
ここのところを読んでいると「ピカソとその周辺」では見えてこない くらしがわかりますね。
《 2017.08.06 Sun  _  1ぺーじ 》