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生きることは

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「生きるとは自分の物語を作ること」 考える人 2008 新潮社

対談 河合隼雄 小川洋子 つづき

小川(O)私は小説を二十年近く書いているのですが、ときどきインタビュアーに「なぜ小説をかくんですか」と無邪気に質問されて、たじろいでしまうことがあります。私にはそんなに特殊な仕事をしているという気持ちはないんですね。
 人は生きていくうえで厳しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その作家がそれまで積み重ねて来た記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。
 臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだというふうに私は思っています。そして、小説家が書けなくなった時に、どうしたら書けるのかともだえ苦しむのと、人が「どうやって生きていったらいいのかわからない」と言って苦しむのとは、どこかで通じ合うものがあるのかなと思うのですが、いかがでしょうか。
 河合先生は人々の物語り作りの手助けをする専門家として、物語と向き合っていらっしゃいます。私は作り手として意識的に物語を作っています。先生と私が、物語についていろいろ語り合えたら面白いかなと考えました。

河合(K) おっしゃったことは、私の考えていることとすごく一致しています。私は「物語」ということをとても大事にしています。来られた人が自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような「場」を提供している。という気持ちがものすごく強いです。
 だからこそ、私のところに来られるような人たちは小説を読んで救われたり、ヒントを得たりするんでしょう。苦しみを経ずに出てきた作品というのは、その人たちには、魅力がないんじゃないかと思いますね。

(O) 患者の方の深い悩みに付き添って、どこまでもどこまでも下へ降りて行くと、河合先生は以前おっしゃっておられました。小説家もやはり、小説を書いている時は、どこか見えない暗い世界にずうっと降りていくという感覚があるんです。

(K) その感じは、もうほとんど一緒じゃないかと思いますよ。ただ小説はずっと降りて行って、その結果つかんだものを言葉にする。だけど僕らは、人が話すのをただ聴いていて、その人自身が何かを作るのを待っているだけです。自分では何も作らない。
 小説家と私の仕事で一番違うのは、「現実の危険性を伴う」というところですね。作品の中なら父親を殺すということも出来るけれど、現実に患者さんが父親を殺すと、大変です。

(O) 殺したいという気持ちがあっても実際には殺さないために、物語が必要なわけですね。

(K) そうです。そしてその物語を解る人もいないといけない。その辺がものすごく難しい。よくいうことですが、「若きウエルテル」は死ぬけれど、ゲーテは長生きする。

(O) なるほど

***

なるほど 私はほんとにわかったのかなあ
ここでは物語というのが 実は大きな役割をはたす時があるということが
すこしわかりました
われわれは そういったなやみを おくふかくかくしもっていて 人によっては
それが 吹き出して来るということなんですかね
そんな本人と それを理解してみている人が 必要なんですね


「のり子の部屋」ではこんな絵が出てきました
このビンには ふたがありませんから ぽんと吹き出してきますよね
皆さんの入れ物にはふたがありますか?

《 2017.07.24 Mon  _  1ぺーじ 》