「けったいなアメリカ人」米谷ふみ子著 集英社
ミラー、メイラー会談傍聴記 つづき
ミラー 「現代のアメリカ作家で僕の大好きな作家はアイザック・シンガー。いつもイディッシュのアクセントで。よう人が僕のことを反ユダヤ主義やといいよりますが、考えても御覧、僕の一番好きな人は、一人はユダヤ人で、もう一人は黒人なんや。父の洋服店を手伝うてた時、布地の裁断を僕が学ばんならんかったんやがね、裁断をしてたのは皆ユダヤ人やった。この人らの喋るイディッシュに気を取られて裁断なんか一つも学ばなんだ。僕はユダヤ文学で育ったようなもんですわ」
ディック 「お二人ともノーベル賞を貰えなくて、少しは憤慨なさいましたか?」
メイラー 「あんなもの、貰った人のクラブだよ。あの中で人を選ぶんだから馴れ合いだよ」
ミラー 「僕はそうでもええと思うけど、貰た方がええ気持ちやろな、正直のところ。イエス、イエス、心の奥の深いとこで憤慨しています。そらしてますとも。あの委員の中にはな、九十歳の野郎がおるに違いないんや。あの連中が僕にくれへんかったんや。そういうことを聞いたからな」
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ミラーは反ユダヤ主義者やといわれてたんですね。
この本を づっと読んでいますと ヘンリー・ミラーという人は「反」という言葉とか
ドイツ人は嫌いやとか 言いますね。でもそのなかに好きな作家とか むかしいっしょに裁断をしていて インディッシュでいろんなことを喋ってるのを聞いて それが僕の文学の中に流れている そんあようなことを言っていますね。
その 言い方は ミラーは ユダヤ人でもアメリカ人でも 嫌いなのはとことん嫌いやけど 好きなのもおるんや なんでしょうか。 それって とてもまともやと思いませんか?
「ノーベル賞なんか貰った人のクラブだよ」とメイラーが言えばミラーは
「僕はどうでもええと思うけど、貰た方がええ気持ちやろな、正直なところ。
イエス、イエス、心の奥の深いところで憤慨しています。そらしますとも。あの委員の中にはな、九十歳の野郎がおるに違いないんや。あの連中が僕にくれへんかったんや」
いいですねえ なにかそういいった賞を貰い損ねたときは こんな風に言えたらいいですね。負け惜しみという言葉がありますが そんなふうになったときに人はどう出るのか
ミラーという人をここで さらに好きになりましたよ。
賞を貰うことはあり得ないけど 負け惜しみを言うれんしゅうしとこ そう思いましたよ。
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さて ノリコ・リーは きょうこのごろ 何枚もの絵を ぎゅっと どういえばいいのかなあ もう一枚の紙におして ぐりぐりしたりしているんです。テレビでそういうことをしている人を見つけて「ああ 自分もむかしやってたなあ」と思い出したんですよ。
なぜこういうことに走っているかと言いますとね
かって つかっていた 絵の具や 特に油絵の具なんて ふたがあいたままなのに 中身はやわらかいんですよ。これをごみにするわけにはいかんわ というのでね それが動機になってね。
これは もったいないという 動機です。
そしたらね これが 意外な かたちや風合いが出てくるんですねえ。
紙も このままだともったいないのがあるし 私はいつ死ぬかわかりませんけど
(ぼけるも計算に入れとかな)。
これは その一枚で きんぎょやくねくね は わたしのもちごまです。
このやりかたの 面白いと想像するところは その気分になったら かきくわえたり
またぎゅっとやったりができそうなことです。