「けったいなアメリカ人」米谷ふみ子著 集英社
ミラー、メイラー会談傍聴記 つづき
私はヘンリー・ミラーの作品中、『クリシーの静かな日々』『ブラック・スプリング』『ネクサス』を読んでいた。しかし、『ブラック・スプリング』の中の「テイラーズ・ショップ」を除いては、どの作品も似たような印象で区別がつきにくかったし、余り好きにもなれなかった。彼は、視覚的な作家であり、豊富なヴォキャブラリーによって、読者を陶然とさせてしまうけれど、大して深い哲学もないと思っていた。とりわけ、多くの性行為をこと細かに描写してあることにうんざりさせられた。いかにも自分が男性の中の男性なんだと言わんばかりで、読んだ後、私はひとりごちたものである。
What the fuck do I care how many times Henry Miler fucked!(ヘンリー・ミラーが何回性交しようと、それがどうだって言うんだ!)
彼の芸術家としての大胆さ、反抗精神は大いに尊敬していたが、それだけのものでしかなかった。
従って、私は、どんなすけべえじじいかしらという好奇心からミラー家へ向かったのであった。
ディックが車の中で言った。
「メイラーとミラーじゃあ、"ハロー、ハウ・アー・ユー"とさえ言えば、質問も何もしなくても勝手に喋るから、僕は静かにしているのが一番好いだろうと思うんだが。かえって両人を黙らすのに苦労するだろうな。でも、ヘンリー・ミラーは呆けていないだろうか、もう八十五歳になるんだぜ。そうだったらこの企画は滅茶苦茶になるなあ」
私達の家から車で五分のところにあるオキャンポ・ドライブのミラー邸に約束の時間より早く着く。カメラマンが大きなリムジンから映写機や他の機械類を芝生の上に下ろしていた。
ミラー邸の芝生は雑草が生え放題で、植え込みも手入れなどされていない。両隣の、几帳面に手入れの行きとどいた庭園や家の外観と対照的であった。
玄関のベルを押そうとしたとき、ドアに貼られた一枚の紙が私達の眼に入った。
人が老境に入ったとき、そして、人生の使命を果たしたとき、平和に死という観念にくみする権利がある。その人を饒舌でもって苛んだり(さいなんだり)、陳腐なことで悩まさないことだ。誰もここに住んでいないかの如くそっとしておくべきである。
中国の哲人(チャイニーズ・フィロソファー)
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ふみ子さんの文は もうそのままでいこう そう思います。
しかし中国人の哲人の言葉 いいですねえ。ヘンリー・ミラーのドアに貼ってあるなんて
このドアは作家への好奇心でよくノックされたのかしら そう思ってしまいます。
このまえ 「ハウ・アー・ユー」のこと書きましたよね。
さて85歳のヘンリーが呆けてたら この対談はおじゃんになりますよね。そういう会話がまたおかしいでしょ。
さて 68歳のノリコ・リー(これええなあ!)の作品も見て下さいな。
ノリコ・リーのアトリエですが そこで「ハウ・アー・ユー」からはじまって
いや ノリコ その気になってる(笑い)
次の1ページでは メイラーとミラーがどういう会話をするのか 楽しみですね。
さいならさいなら