「けったいなアメリカ人」米谷ふみ子著 集英社
ミラー、メイラー会談傍聴記 つづき
「身体が自由に動きさえすればパリですなあ。今はもうあきまへん。煙草の喫い過ぎですわ。最近はやめましたけどな。医者がやめんと脚を切ってしまうぞと威しよったんでな、へえ。カリフォルニアではな、ビッグ・サーがええとこやと思いますな。一年前にな、心臓のバイパス手術をしましたんや。そのとき入れたプラスティックの管が潰れたんで、わしの身体の右側は肩から股にかけて動脈がおまへんねん。ドン・チュー・ノウ?」
彼は会話の後に「Don't you know ?」
というセンテンスをよく使う。「そうだっせ」「そうだっしゃろ」「わかりまっか」とも聞こえる。
「それからな、右の眼は全く見えまへん。左の耳は聞こえませんしな。右の耳はちょっとは聞こえますんでな、そやからこうして補聴器を耳に突っ込んでますねん、へえ。この頃のわかい娘はな、蚊の鳴くような小さい声で喋るのが流行ってんのか、皆が皆そうでな、わしの耳では、はっきり聞こえよりまへんわ、はあ」
そう言ってから思い付いたのか、台所に向かって、
「この機械あかんわ、何も聞こえへん。新しいのに替えてえな」
と言いながら補聴器を右の耳からはずし、取りに来たビキニの女性に手渡す。彼女はそれを丹念に調べて、
「これ大丈夫よ」
と彼に返す。ミラーはそれをまた、耳に入れた。ちょうど、そのとき、電話が鳴った。トニーが出る。ヨーロッパからであった。会話の様子では、だれかが亡くなったということらしい。まわりで、ミラーに伝えてはいけないと小声で話している。補聴器の具合も悪いことだし、ミラーには聞こえてないものと私は思っていた。
***
まったく この大阪弁は ミラーの話し振りとぴったりなんでしょうね。
で 思ったんですけど 「文字を打つ」は みみがとおくなっても いけそうですけど
どうでっしゃろ?
今頃ね こんな本を読んでるんです。「あきらめなければ 痛みも、麻痺も、必ず治る!」YNSA創始者 山元敏勝 ソレイユ出版
それを読んでますとね 「このお医者さん所に行くのが 遠いわなあ」と思ったんです。
で そんなことを言うてる暇があるということは まだ ここにかいてある人より 身体はましなんとちゃうかなあ と。
頭には身体のどこかしこに通じるつぼがあって それがあたると 回復するらしいですね。針でせんせいがそこを見つけて治療されるらしいですねん。私は櫛とかブラシをいくつももってて 髪の毛を「しっかりせえよ」とはげましてるんですが これは実はこの先生のやりかたに ちょっと大雑把やけど 通じてるんとちゃいますやろか。
こんなとき また 昔買ってほったらかしにしてた とげの(ぷらすちっく)のいっぱいでた ぎゅっとそれを頭におさえつけると マッサージというようなものも あるんですわ。首も身体に通じてるらしいです。これはまたそういうぎゅっとおせるのが。
たいがいのものは 手動ですねん。でも ほくろやしみがとれるわけでもなく 顔色も悪いし となると せっせとこういうことをやって 少しだけげんきだすほかありまへん。
そうそう ミラーさんもそうですが なんと身体は 大変な病氣をもってしまうものかと
そのことを この本は教えてくれるんでした。
なんの話でしたっけ?
ミラーさんのことでしたね。
*
ところで さておき 私の絵にどうかおこしくださいませ。
「道」についてきょうも書きましたね。道を歩いておりますと
影絵の名手 影山氏に出会ってしまうんですね。
道の両端に木なんぞがありますと
それはそれは味わい深い 影絵の連続でございます。
道行くあなたさまも 影絵の中に閉じ込められて もう一部分です。
ときに反逆者 かげおとこが 「たたた」とあらぬ方向に走ることもございます。
ペラッとこの影をはずして 街中で売ることもございます。
さいならさいなら