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おたより

スキャン2983.jpeg露覇主さんからこんなご返事をいただきましたよ。

憲子さま
 夫せいが憲子さまにメッセージを書きました。最近家の大掃除を始めて、いろいろ古い記事が出てきて、憲子さんの秘密のお部屋というほどではありませんが、わあ、キャア、と心は騒いでいます。憲子さんのようにしっかり残していけるといいのですが。又、教えてくださいませ。


ここからがその夫せいさまからいただいたものです。とてもいいのです。

    *

 昨日は、奇麗な写真を載せていただき、ありがとうございました。一昨夜、あの写真などを妻に托したおり、写真の初出を記す意味で、2枚目の紙を入れたつもりでした。あれは戦前の映画雑誌『新映画』からのもので、昭和13年発行となっています。例の『風と共に去りぬ』は翌年制作されていましたが、16年の開戦前後から、英米仏の映画は軒並み輸入禁止となりました。でもまだ、『風』は14年の作品なので、英米映画はまだ全面禁止ではなかったはず。恐らく、内容のせいでしょうか?この非常時にこんな甘い恋愛映画は不謹慎だなどと判断され、「不許可」になったのか.....『風』は、昭和27年に初めて日本で公開され、その後日本のファンが最も長く愛し続けた映画となったわけですね。

 ヴィヴィアン(英)の気品ある美しさは、汚れ役のブランチ(「欲望という名の電車」)というあたり役でも、変わらなかったと思います。言われるように、その後の世代のS.ローレンやカルディナーレというイタリア勢も美しい、立派な人達ですが、気品のみか、ある種のはかなさを秘めていることにおいてはヴィヴィアンに軍配があがるのかもしれません。なお、2度結婚していたようで、2番目の夫が英国の名優ローレンス・オリヴィエだったわけですね。

 雑誌の南部編集長の後記には、私も首をひねる表現がありましたが、興味深かったですね。当局の検閲厳しき折、今から見ると国策に添った時局的な文章と言わざるを得ないですが、出征した友への便りとして心うたれます。無事に帰国し、共に映画を語り合いたいと願う南部氏の想いがよく伝わっていると思いますが、如何でしょうか。友人は無事に帰還できたのでしょうか。(南部さんは、戦後映画評論の分野で長老的立場になります)。

 なお、私が大学1年の頃、リーがロンドンの下宿で亡くなっているのが「発見された」(すでにオリヴィエとは離婚していた)、という記事を見て、驚いた記憶があります。スターの末路について考えさせられます。とりいそぎ、ご連絡まで。

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お返事 うれしかったです。
大掃除にて こうしたいろんな興味深い記事や写真が出てきていることと思います。すわりこんで 掃除にならないのではないでしょうか。
このコーナーにもまたおよせください。映画好きの人たちには とてもうれしいお話ではないでしょうか。この南部さんの「戦場の友に送る」は皆様にお見せできなくて残念です。 「共に映画を語り合いたい」という南部さんの想いが 言われますように伝わってきますね。
ヴィヴィアン・リーのことは映画雑誌や週刊誌で読んだことがあります。亡くなったときの話しはとても寂しい感じですが いい映画の主役をつとめたリーは 私たちにかけがえのないものを残してくれましたね。
マーガレット・ミッチェルのこの『風と共に去りぬ』とこんなにぴったりのスカーレット・オハラはないなあ 私にはいつもそう思っています。
ありがとうございました。
露覇主さん 大掃除 夫せいさんと楽しんで下さいませ。

《 2017.05.25 Thu  _  おたより 》