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ピカソとその周辺

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「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳

未来派の画家たちとマリネッティ つづき

 ソフィッチはマリネッティと共に、未来派文学の指導者で、彼は、マリネッティもそうだが、人々が彼の思想に興味を覚えたように見えると、たちまち饒舌になった。
 マリネッティが借りていたピガル広場の近くのホテルの一室で、アポリネールとピカソと一緒に夜動し語り明かしたことを、私は覚えている。太陽が上がった。私たちは昨夜の十時から退屈もしないで彼の話を聴いていたのだが、彼はひっきりなしに喋り続けていたのだ。
 勝利を目指してパリーにやってきた、これらのイタリアの画家たちは、いつとはなく、みんな姿を消してしまった。大部分は故郷に帰ったが、セヴェリーニは例外で、彼はポール・フォールの娘と結婚した。しかし自分が望んでいたほどの成功は得られなかった。私は最近リュクサンブール公園で、彼の妻、義母、上の娘、乳母車に取囲まれた彼に出会ったことがある。1911年当時の彼の大望から、果して何が残っているだろうか?

***

このあいだはピカソの絵よりピカソらしいような絵はがきでもって 「ピカソとその周辺」を打たせてもらいましたが 次第に 「ピカソに自分はどういう影響を受けたんだろうか」と そういうことで自分のやったことも 見ていただいていますよ。
これはね 「2002年がつまっている おおぶろしき」なんです。
ピカソは私から見れば 思いつくとすぐ実行に移した人だと思っていました。「はと」や「やぎ」をかってたんだと思いますし それはそのままオブジェになってるし 絵にも出てきます。
いつも身近にあるものが出てくるという。そこからいくと私はせっせと2002年に新聞を切り抜きました。結果的にいっぱいたまって それをおおぶろしきにくるんで「2002ねん」にしたというわけなんですが。いかがなもんでしょう?
私は他のことでは よく迷うのですが この世界ではすぐ実行するのですよ。そのかわりプレッシャーがかかるようなことは なるべくしないようにしています。
相手は自分ひとり あとは 想像のお客さんや こうして知らない人がお客さんです。
それはいかんですか?

ところで 夜動しでも ひっきりなしに喋り続けたマリネッティやアポリネール ピカソたち エネルギーありますねえ。どんなことをしゃべってたんでしょうね。
未来派文学?

あっカッコーがないてる。もう夕方の6時です。日が長くなりましたねえ。 
《 2017.05.24 Wed  _  1ぺーじ 》