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くりかえしますよ

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ビビアン・リー

イレ・ンアィヴィヴ そう書かれていた時代の写真ですね。
1913−67ということは54才まで 生きていたんですね。
こんなとき まず 彼女は私が18のときまでいたんだと おもいます。
この写真は とても美しい横顔ですが もう一番きれいなときじゃないでしょうか。
リー24才頃なんですね いやはや美しい。(きみ 男?)
映画雑誌や(なんていいましたっけ?スクリーン?シネマ?)こういうことでもすぐ忘れるということは 私は そうとう忘れっぽいですね。 で クラウディナ・カルディナーラ ソフィア・ローレンはまいど いやっというほどのっていました。この2人が「いつ歳を取るんだろう?」そう思うくらい かげりをみせませんでしたね。そのかわり 私だけの感想かもしれませんが 「一番美しい時」が この2人にはなかったんじゃないのかと。
それはいいんですが この「一番美しいとき」をもっている女優さんはこのビビアン・リーと「戦争と平和」の ええっっとええっとリュドミラ・サベリーエア えっこんな名前でしたっけ? 戦争と平和はその頃私が見つけた女優さんの前にもう少し昔に上映されたときの女優さんの名前かも。 などと言ってみる私ですが。

「世の中にはこんなきれいな魅力的な人がいるんだなぁ」とえんぴつで何度も描いたのはこのビビアン・リーでした。とくに横顔が美しく 目のアイラインからアイシャドー
つんとしたはな かっこいいおでこ スッキリとしたあごの線と。前から見ると 左右が微妙に違っていて これまたスカーレットの気の強さが出ていてええんだなぁ。
レット・バトラーなんかまたよかったでっせ。そのころ若い子よりおじさんのほうが魅力的に見えたのは 彼のせいかも知れません。アシュレはちょっと気弱でしたね。レット・バトラーはスカーレットが好きで スカーレットはアシュレが好き。 恋はままならぬものだと 思いましたですねえ。
で 自分の恋はといいますと もうさっぱりで 「風と共に去りぬ」を見たせいかも知れません。

しかし 美しい一瞬はあっても 長く続くことはないのだと この2人をおっていくと
わかるようになるのでした。 写真や映画はその時をのこします。 すごいことですねぇ。
ビビアン・リーは結婚して女の子を産みましたが またビビアン・リーがぽこっとでてきたわけではありません。どんなだんなさんやったんやろーと。よけいなおせわですよね。

三日坊主の辛抱の足りない私が よんでしまった「風と共に去りぬ」。
このことについて書くのはこれで何度めかなぁ。くりかえしこうして書いていますよ。

今回は映画がお好きな 露覇主さんの夫セイさまにいただいた ビビアン・リーの写真が
きっかけとなりました。ありがとうございました。

これはべつの話ですがこの写真とともにいただいた「戦友の友に送る」南部圭之助 昭和13年発行は 虫眼鏡が必要でした。 南部さんという方が 戦地に行っておられる ともだちに 映画の話 他の友だちの話を書いておられますね。
そのころ洋画は(不許可)だったそうで そうなると日本映画はがぜんはりきることになるんですね。そうですよね。そうなると「風と共に去りぬ」もだめだったんですかね。
中田武ン坊 大門一男 どんな俳優さんだったんでしょうね。
まだ こういう月刊誌が昭和13年には出せていたんですね。
私は古書を読む時 これは戦争中か その時代でも どのあたりなのか よく考えます。
なにからなにまで 外国 アメリカなんかのことは 読んでも見てもいけない そういう頃なのか そうでもないのか とか。
「かれは相当なるシヤンであった」これどういう意味?とか。
戦争のニュース映画でも出来不出来があったようでそんな話もここにはありますね。
この手紙で いろんな当時のことがわかりますね。いい手紙ですね。

《 2017.05.24 Wed  _  おたより 》