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母の書いていたこと

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母が書いていたこと あれ!2枚の同じ絵

一夫(夫のこと)のこと

一夫は一人息子である。
父と母は(一夫の)年齢が十才もちがい 結婚してから十年もこどもにめぐまれず
大変心配していた。当時めずらしく 神戸に産科医のアメリカ帰りのよい医者がいるというので父のつきそいで神戸に出かけ 診察の結果 子宮後屈とのことで手術を受け十年ぶりに妊娠して生まれたのが男の子で ひとりうまれると子宮はもとどおりになりもう一度手術をしないと 二度目は妊娠しないとのことだった。
両親の愛情を一身に受けて成長した。母は士族の出で 礼儀正しく女性のたしなみを全て修得され気性も激しい人であったが 両親とも子どもに甘いのははげしいくらいで気を使い大切に育てた。幼い頃は知らないが 学校に行く途中休んだところによく弁当を忘れ 家に知らせると母は大急ぎでとりに行き学校に届けたそうな。
学校に勤めるようになるとこれも大変で当時小学校に勤めていて 遠足で生徒たちが自分たちのところを通るなんてときは向こう側まで出て行って 菓子の袋入りを生徒たちにくばったよし。そこまでしなくても。いえでは食事の時ハシバコからハシを出して渡し ネマキはぬぎっぱなし。夏など学校から帰るとイスにかけさせて アセをふきコップにいっぱいさとうを入れた砂糖水をのませ うちわであおぎ「あつかったやろう」とまるで子どものようなあつかい。
同じ学校勤めの私が帰って来ても知らぬ顔。わたしの母が来ている時「子どもの可愛いのは同じことだ」とふんがいしものだ。
何をするにもこり性で大工仕事をしたり絵を描いたり 花づくり 何でもきようにこなした。学校でも一生懸命がんばった。一時は神戸の学校に勤めたが 戦災で田舎に帰り田舎で退職した。両親は終戦の年に相次いで死亡された。
一人っ子の気の弱さは死ぬまで。 あらそいごとを好まず 何事もたのまれたらことわるすべを知らず あれもこれも役はあとをたたず。
夜遅くまで一生懸命。健康を害するからといっても ききいれず町史の完成間近で死亡した。

***

母から見た父は こんな人だったようです。
わたしは 兄たちもそううでしょうが 父を見てきました。兄の中にはげんこつをもらった兄もいたようです。母の文を読みますと とても甘い両親の元で育った ぼんぼんの父でしたが 戦争という時代背景のせいもあったかもしれませんが父は 癇癪持ちにも見えました。母は7人兄弟ですか そんななかで育ってますから 父も小学生のときになくしていますから こういう父を ま逆の人と思ってたのでしょうね。

私の知っている父は ちびりちびりとお酒をのみ すぐあかくなって 同じことを言ってるような人でした。私は試験の前に ちっとも勉強がはかどらず 人のせいにしたくなっては 「お父ちゃんは一人っ子やからぁ」などとわけのわからない言いがかりをつけて
いたのを思い出しました。

「お父ちゃんはなぁ 一人っ子で気が弱いけど 人は純粋で子どもみたいな人やでなぁ」と母はほとんど父のことをほめることはなかったのですが そのぽつりと言ってたことが
みようにのこっていたりします。父は母のために台所を作り たなをつけ 食器戸棚をつくりました。なんでも自分で作りたいのです。が どこか使いがってがよくないのです。戸はおもいし どこかそうですねえ ゴッホの絵のような いや便利そうで 水が出てくるまでややこしいような(笑い)。

あのゆがみやゴテゴテ感に「すごい芸術!」と思いはじめたのは 父が亡くなってからです。 父のよっぱらって「お母ちゃんただいま」とフラフラ帰ってくるその姿や 日曜には何かを作っているその姿は 理想的ではないけれども そういうお父ちゃんやったんやと思い出します。ガウディーのグエル公園のような父の作ったおふろ。兄がこのあいだ「そのお風呂はのり子のためにつくったんだよ」と言っていました。

父も母もその甘かった祖父母も2人の兄たちも あかちゃんのときに死んでしまったひろこねえちゃんも そして母方の両親も あっちにいって どうやって暮らしてるんですかねえ。
私は5人兄弟で その姉のことを 「そうかあっちにはお姉ちゃんがいるのか。こまったときとかさびしいときはいっしょに手をつないで歩こう」そう思うことがありますよ。

戦争中で下痢が止まらなかった赤ん坊の勲兄は やせ細ってしまっていて そのとき母はあんなして師範学校出してもらって先生になったんだけど 学校をやめようと思ったと このノートには書いてありました。

疎開先で 川があれば 魚とりをした 兄弟のなかでたくましかった靖兄も亡くなりました。今は一番上の武兄と私だけです。私はこの兄の誕生日を忘れてるのに 私の誕生日には必ず電話をくれます。

母は田舎で 夫を亡くしたあと十年ほどひとりで暮らしました。
ひとりになって 気楽なときもあるけれども 夜中に目が覚めるとこの広いうちに自分ひとりだと思うと何ともいえない気持ちになったそうです。そんな母も1994年に亡くなりました。
この母のノートを読み終えて 人の一生はこうなんだなぁと それは人それぞれでしょうけれども しみじみと思うんです。

母は夫のこと子どもたちのこと 鏡台や親のこと 戦争のことなどを書き残しました。それは一人の人の記録です。  
《 2017.05.12 Fri  _  思い出 》