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ピカソとその周辺

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「ピカソとその周辺」フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳

はじめに ことわっておかなくてはなりません。この絵はピカソノ絵ではありません。
mariHube LTD U.S.A とあります。

つづき

 バルセロナでは、彼は、もう一人の彫刻家のカサノヴァの家にも行った。 パリーでよりスペインでの方が有名なこの彫刻家は、パリーではちょっとだけしかいなかったが、彼の優れた才能をもってすれば、おそらくフランスで生活することもできたであろう。
 マテオ・デ・ソットは、パリーでピカソとあまり違わない放浪生活の青春時代を過ごしてから、思い切ってスペインに帰り、名を成した人だった。
 パリーでは、いつも生活に窮していたらしかったソットは、大抵正午前にスペイン人町を一回りして、どうやら昼食にありついていた。
 ピカソは他の連中よりも彼を愛していたが、それはおそらく彼の体が弱かったからだと思う。彼は小柄で、痩せていて、顔色は蒼ざめ、みすぼらしかった。彼はフランス語を、スペインの牝牛のように用に発音していた。クー(首)のことをキュー(尻)と言ったり、ピュス(蚤)のことをプース(親指)と言ったりして、私たち友人の一人の顔を見守っていた。彼は友人の家の戸を叩いて無駄をしたということを、私は一度も聞いたことがない。

***

パリに渡ってきたスペイン人たちは そこで成功するか 食事にも事欠くようになるか
だったのですね。日本人のばあいもそうだったのでしょうね。それでもピカソもソットという体の弱そうな画家などはほっておけなかったのでしょうか。
ここに「太陽」という1966年の平凡社が出している本に「特集パリ」があります。
2017年の今 その中のパリは古めかしく しかしパリはさらに古い時代のパリがあって この本は印象派が活躍を始めた頃のパリの様子などがのっています。なんどかすててしまおうと思った本ですが このオリヴィエの「ピカソとその周辺」を読みながらこの本は感じがつかめると思いはじめたりしましたよ。

はなしは上の絵にもどりますが 歌でも何でもそうですが まねるひとはピカソよりさらに元気があって 特徴をつかんでいて ほんと すごいね。絵はがきで名前も小さく書いてあるのでむしめがねで 読んでみたんだけど
この人は きっと気持ちよく描いてるね。ピカソになった気分でピカソのどこが好きで
なんてこと考えたり 目の位置はどうしようなどと考えてるとね。真剣に見るとおもしろくないけど とても笑ってしまう。 


《 2017.05.16 Tue  _  1ぺーじ 》