「ナマリの兵隊」文 ハンス・アンデルセン つづき
ナマリの兵隊は、ストーブのなかで、あかあかとてらされて、立っていました。からだじゅうが、あつくてたまりませんでした。けれども、それは、火の熱なのか、それとも、むねのなかにもえている愛のためなのか、わかりませんでした。
ナマリの兵隊のきれいな色は、おちたものやら、悲しみのあまり、そうなったものやら、だれにもわかりませんでした。
ナマリの兵隊は、じっと、かわいい踊り子を見つめ、踊り子も、ナマリの兵隊を、見つめました。そのうち、からだがとけていくのがわかりました。それでも、ナマリの兵隊は、鉄砲をかついだまま、しっかり、立っていました。
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子供の時の たしはきっと 火に燃えていく ナマリの兵隊のことをショックだと思っていたんでしょうね。 それでも「ナマリの兵隊はじっと踊り子を見つめ、踊り子も、ナマリの兵隊を、見つめました。」
この話をすんなり受け止めたのは子どものわたし。子どもは その話がはじまると そこにすっかりのりこんでいくんでしょうかね。
おとなのわたしは ナマリの兵隊も踊り子も生きものじゃないんだから されるがままよ。変化を起こすのはまわりよ。などと。
これは おとなになって いろんなことを知ってしまったせいでしょうか。