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おたより



憲子さん


 ご無沙汰しております。こちらでは、今年初かと。

昨夜お目にかかれず、残念でした。お元気ですか?

NEKO美術館で、コピーやペーストが出来るようになられたのですね。

私はコピーなどはできますが、憲子さんのように写真や本、書いたものを載せることができません。時々不自由をします。


 お母さまの日記、凄いですね。とても楽しみです。生き生きと、まるでそこにいらっしゃるかのようです。これがいつまでも生き続けるということでしょうか。

実際、生きている時はこちらも余裕もなく、今になって聞いておきたかったということばかりです。こうして残されていると、それがただ単にさりげない日常であれ、いや日常だからこそ、そのままが出てきているのでしょうね。

憲子さんのお母さまにはお会いしたことはありませんが、一緒に懐かしくドキドキしています。


 同じようにこれまでのスケッチやぺら本など、憲子さん自身、お子様たちなどのこれまでが垣間見えて、素敵ですね。


  私自身は「もう走れません」のエッセイを心に留めつつ、生きます。


 いつも有難うございます。

 又、色々のNEKO美術館の展示、楽しみにしています。


露覇主拝


***


露覇主さんからのおたよりです。

気にかけて下さって ありがとうございます。

読書会での「沈黙」遠藤周作 いかがでしたか? スコセッシ監督の映画も見られたんですか? キリストと云う人は 苦しんでいる人たちを助けてくれる人ではなく 一緒に苦しんでくれる人なんだって テレビで見たときは そういうふうに思ったことでしたが。

何も知らないわたしが こんなにシンプルに考えるのは きっと知らないからですね(笑い)。 


 母の残された記録 読んで下さってありがとうございます。 母は私たちには よくこういう話をしてくれましたが こうして再び今度は文字で読みますと さらに詳しいことが書いてありました。ペンで書かれていてこれはコピー ペーストではむずかしいです。 母に聞き忘れた所 たとえば 祖父母や父 子どもたちが疎開しているのに 女の母だけがなぜ神戸に残ったのか という疑問は この記録で 先生をしていたこと 生徒のこともあること それにこのような壊滅的な空爆を考えていなかったということでしょうか。 空襲警報のサイレンの音がすれば 防空壕に走る そんな毎日だったのかもしれません。多くの街で 多くの人々が そうやって亡くなったんじゃないかと。


露覇主さんの活躍も 楽しみにしてまっせ。いろんなことが だれしもあるのですが そんななかでのその笑顔 いいと思います。


《 2017.04.12 Wed  _  おたより 》