who am ?I

PAGE TOP

  • 02
  • 26

シューマン

「音楽と文化」河上徹太郎著 創元社 昭和13年
2016年11月いらいのつづきです。
もうなんのこっちゃらわかりませんか? そういうわたしも わかりません。
だから いっしょに わけのわからん文を よんでみるとどうなるのか
やってみませんか?

シューマン

 恐らくシューマンに至るまでのドイツ音楽がベートーベンやウエーベルなど粗野な男性的なものであったのに対し、シューマンの女性的精妙さはほとんど想像を絶した画期的な出現であったに違いない。彼の作品第一の「アベック・ヴァリエーション」はすでに変奏曲の観念を従来のそれから根本的にあらためている。従来はただ単に主題の和声的基礎に基づいた。様式の上で対照をなす一()の小曲集であった。しかしシューマンのそれは、各変奏曲に新しい啓示、新しい戦慄が含まれている所の幻想曲である。すなわちシューマンの音に対する霊感は、単に感情の複雑さによる精妙さのみならず、ほとんど知的といえる程の、一種数学的な美しさが加わっている。それは普通の音楽と言う概念から脱した、音楽そのものの美しさの純粋な追求である。音楽的な、あまりに音楽的な音楽である。さればこそアンドレ・ジイドは最も愛する音楽家としてシューマンとショパンを挙げながら、やがてシューマンに対する愛が次第に減退し、「シューマンは詩人であるがショパンは芸術家である。」といって後者を前者の上に置くに至ったのである。ジイドには清新健全な芸術のみを認める理想主義があり、そのためにシューマンに魅せられながらも、そのあまりに音楽的な音楽故に、彼を一流の芸術家と認め得なかったのだと思う。
 シューマンの作品の特性についてその他述べることは多いが、次にその生涯を述べながら随時触れて行くことにしよう。

***

ロベルト・シューマンは1810年〜1856年のドイツの作曲家です。
ここで「狭き門」を書いたアンドレ・ジイド(ですよね)が出てきますね。シューマンの前にいるドイツの音楽家はベートーベンやウエーベル(この人知らない)は男性的な曲を作っていたんですね。それが女性的精妙さをもった作曲家の出現というのはというのは 画期的だったのですね。
とはいうものの 私はシューマンがどういう顔をしていて いつ生まれていつ亡くなったのかなど これは持っている本でみてみます。それが「詩的で超常的な調べ」のローズマリー・ブラウンの本です。
あったあった ひじをついた繊細そうなこの作曲家 だんだん思い出してきましたよ。評論家でもあったんですね。若きショパンやベルリオーズ、ブラームスらの才能をいち早く見抜いています。シューベルトの器楽曲を絶賛しています。
そして忘れてはならないのは よめさんのクララ・シューマン(1819〜1896)。
シューマンを支え続けた人です。
ところが シューマンとショパンのファンだったジイド こういうことをいって ショパンにぐんぱいをあげてしまうんだなー「シューマンは詩人であるがショパンは芸術家である」
ふむ このちがいはなんだ?

シューマンの音に対する霊感は、単に感情の複雑さによる精妙さのみならず、殆ど知的といえる程の、一種数学的な美しさが加わっている。それは普通の音楽という概念から脱した、音楽そのものの美しさの純粋な追求である。音楽的な、あまりに音楽的な音楽である。
ふむ 数学的な 音楽そのものの美しさの追求 あまりにも音楽的な音楽である 
そうか それまでは こうじゃなかったのかな

みなさんは?



 
《 2017.02.26 Sun  _  1ぺーじ 》