
みをぎさんからの 「マリヤン」についてのつづきのメールが届きましたよ。
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お手紙有り難うございました。
マリヤンには後日談があるのですよ。マリヤンは、本当は、パラオでは高貴な家の女性だったのです。
つまり大酋長の家の人でした。本当の名前はマリア・ギボン(1917〜1971)と言います。英語通訳者のウイリアム・ギボンの養女になっています。パラオではマリヤがマリヤンと聞こえるのですね。実は東京の女学校に留学もしているのです。そして敬虔なクリスチャンでもありました。ですから、日本語もペラペラですし、英語も勿論ペラペラです。土方さんが民話を聞き書きしているところに来て、間違いを添削したり、土方さんの質問に答えてくれたりしているのです。ほんとうはコロールの女酋長になるべき人でしたが、なる前に亡くなりました。マリアんは、岩波文庫をたくさん持っていて、読書家でもありました。マリアンの息子のユタカは1973年に大酋長になっています。大酋長というのは世襲制のようですね。大酋長というのは何らかのカリスマ性を持っているような気がしますね。1971年、マリヤンが亡くなったときに、人口2万人の中の2千人がお葬式に来たそうです。
すごく慕われ、尊敬されていたようです。酋長とは皆のお手本になるように生まれた時から色んなことを学ぶのでしょうね。他の島にも酋長がいたかどうかは私は知りません。中島敦はパラオ滞在が短かったために、土方さんほどは、パラオのディープな話は知らなかったのでしょうね。土方さんはマリアンの子供のときから知っていたのです。でも中島敦が短い小説を書いたために、もっとマリアについて知りたいと訪れる人もいて、そういう方たちがパラオに訪れるようですよ。 みをぎ
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みをぎさん マリヤンの話 興味深かったです。ありがとうございます。
中島敦がマリヤンのことを書いていて 読者が彼女のことを知りますね。
さらに土方さんという、パラオに長く住み マリヤンのことも彼女がこども
のときから知っている人がいた。
中島さんは短い間だったけれども 現地で土方さんとともだちになった。
私はパラオという名前さえ知りませんでした。国なのか土地の名前なのかも。
「中島敦展」の冊子を開いてみますと 土方久功画「パラオ風景」という絵が
のっていましたよ。みをぎさんのこの話をおききして やっと目に入ったのかも
です。椰子の木海につきでた桟橋にわらやねだけの待合所のような小屋。
土方さんは1929年から1942年の間に 南洋で生活していたそうです。
椰子の木の板に描かれているそうです。これは夕焼けかなぁ。
「ナポレオン」から
何という光り輝く青さだろう、海も空も。
澄み透る明るい空の青が、水平線近くで茫と煙る
金粉の靄の中に解け去ったかと思うと、其の下から、
今度は、一目見ただけで忽ち全身が染まって了いそうな
華やかな濃藍の水が、拡がり、膨らみ、盛上って来る。
中島敦・土方久功 2人のファンにとってたまらない話ですね。