「セザンヌの手紙」ジョン・リウォルド編
エミイル・ゾラ宛(エスタク)1878年12月19日
親愛なるエミイル。
九月にロオマ通りの引き払ったことを君にまだ報せていなかったように思う。今度の家は
フェリエール街32番地だ。無論これはオルタンスに住まわせている家のことで、僕自身は従来どおりエスタクに住んでいる。こないだは手紙をありがとう。
四日前にオルタンスがやっとパリから帰ってきたのでホッとした。何しろ、留守の間ずっと僕が子供の面倒を見ていたので、親父にそんな現場を押さえられでもしたらどうしようかと、実ははらはらしていたわけなのだ。どうやら近頃、僕の内情を親父に告げ口して僕に一泡吹かせようという一種の陰謀が進められているらしいので油断がならない。家主のジャンフウトルもちと臭いと僕は睨んでいる。
君に用立ててくれといつか頼んだ金は、ひと月ほど前オルタンスの手に確かに渡った。
厚く礼を云う。お陰で彼女も大助かりした。実はパリで彼女に少々面倒な問題が起こったのだが、ここに述べるのは控え、以連れ会ったおりに話すとしよう。といって別段大したことでもないんだ。
あと二三カ月はここに居座るつもりだ。そして三月の初めにはパリへ行く。
僕は最初、このエスタクに遁れておれば、まったく穏やかな気持ちになれるものと当てにしていたのだが、案に相違し、僕と親父との間の諒解がなりたっていないため以前よりよけい悩まされているような始末だ。とにかく親父は、女子供を僕から払いのけてしまうことしか考えていない。で、僕がそれをどうしても承知しないとわかった場合、親父としては次の手段を講ずる他はない。つまり、今後僕に年二千フランか三千フラン余計にあてがうことにして、そのかわり親父の遺産相続人としての資格を僕から奪い取ること、従って僕の死後において僕の子供とその母親にも相続権を一切認めないということに決める肚(はら)だろう。大方僕のほうが親父より先に死ぬだろうからね。
君も云うとおり、ここの風景は実に美事だ。こいつをこなせるといいのだが、僕には到底歯が立ちそうもない。僕に自然がわかりはじめたのは、やっとこのごろで、遅きに失した憾みがある。だからといって、自然が興味津々たるものであることに変わりはないがね。
君がよいクリスマスを迎えるようにと祈っている。ー僕は今度の火曜にエクスへ泊まりがけで行ってくるつもりだ。ー君は猟の手柄話をさっぱり聞かせてくれないが、一体最初の意気込みは全うされなかったとでもいうのかい?では、御機嫌よう。
ポウル・セザンヌ
手紙は今までどおりエスタクへ宛ててくれたまえ。
***
この手紙を読んでると 「ここはどうなってるの?」というところが この私のようなものでも 見つけてしまいます。
エミール・ゾラへのお金の無心は 妻オルタンスと子供との家族になってから 何度も続きます。セザンヌの親父さんが この母子をセザンヌから引き離そうとしているように書いてもありますが このところに なにか事情があるのか 「パリで彼女にやっかいなことがあって」 これは何かしら?手紙に書いてあったのか それとも手紙とは都合の悪いことを避けたいものであるのか。セザンヌはまたゾラと会った時に話そうと書いていますね。
オルタンスは子供をセザンヌにみさせてパリに出かけたようです。 それには子育てに馴れていないセザンヌをこまらせたようですが。 オルタンスとセザンヌの関係ははじめどういうところからはじまったのか 親父さんのところに彼女をつれていけなかった理由は?
遺産相続人としての権利を親父さんはセザンヌから奪い取ろうとしている?さらには母子には絶対やらない?考えてみれば いろいろな事情がありそうですよね。陰謀という言葉も出てきますよ。
「自分は親父さんよりはやく死にそうだ」 そう思う理由は何かしら?
しかし セザンヌは絵を描くことにおいては とても一生懸命ですね。自然に対しての驚きと 自然を前にしては自分は未熟だと思っています。
なにかで苦労する たとえばお金 家族 いろいろ人によってあるものですね。
でゾラにお金を貸してくれと何度も頼みます。 これはゾラにとっては まゆをしかめることだったのか セザンヌを助けてやりたかったのか この手紙からは読み取れません。なぜならゾラの手紙がここにはないからです。手紙はこの双方が揃ってはっきりしてくるのかな。いや ゾラがセザンヌのようにいっぱい手紙を書く人じゃなかったら 見えてこないぞ。
いやぁ 人の一生も 私の一生も きっとあなたの一生も やっかいなことあるんでしょうね。
うちの息子のファッションの感想もいわなあかんし(なんのこっちゃ) 私も子供で苦労すると言われたことがあるんですけど あったってるかも。もうほんま セザンヌさんも苦労したんですねぇ。
私や夫は 「セザンヌはお金の心配がなかったから いいのよ」なんてよく人にいってたんですが 「ちゃいますやん!」
セザンヌの人間嫌い ちょっとここらへんからはじまったのかな。髪を長くして(当時は紳士はそれじゃあいかんかったのかも)神経質そうに人目を避けて歩いているだけで 石投げられたりしたんかなぁ。そしてこの画家という職業 売れてなかったら 変人扱い。
弱きを助けでしたっけ?なかなかできません。
昨日見た映画 オランダの映画で「孤独のすすめ」いねむりしながらですが見ましたよ。人は「よく 親切に生きよ」と 説きますが それには くっきりと「わく」があって それは多数の人たちがつくっていて その上に神さんなんぞをおいて 「その枠内で生きよ」と押し付けているのかもしれません。そのわくの外を われわれは案外こわくて出れないでいる。「何にも縛られない自由」などとよくいいますが。
しかしセザンヌさん 自分のやろうとしている絵はつきすすんでますがな。
それでっせ。 セザンヌの場合 絵をかくことは続く。