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おたより

「ふあさん」からのおたよりです。このまえからのFさんのことですよ。


 セザンヌは、私も去年初めてであったようなものです。
テレビだったかなぁ、静物画が出てきて、その絵に惚れてしまったのです。
「誰が描いたんだ、この絵は」と思ったら、セザンヌだったのです。「あら、こんないい絵を描いていたんだ」と。
いままでも彼の絵を見たことはありますが、こんな風には出会わなかったのです。
こういう出会いは、私にとってご褒美みたいなものです。

 セザンヌのことをのりこさんが書いてくれていて、嬉しいです。
のりこさんも最近「出会った」のでしたっけ?

 1月7日のゾラに宛てた手紙は、激しくて赤裸々で好きです。
「有名人」の手紙が本になったものは、ほとんど読んだことがありません。
読む前から、整った立派なことが書いてあるんだろうと邪推してしまうからでしょうね。

「野外の情景を描く際につくづく感じるが、地上にあるものの諸相の対立は驚くべきものだ、風景というものは素晴らしいものだ。実に美事な生命がここそこにひそんでいることに気づくよ。もうこれから僕は、野外の物しか描かぬことにしようと思っている。」

「そもそも小生は、彼らに小生の作品を評価するの任務を小生自ら与えた憶えはないのです。」

 若いセザンヌのこういった煩悩から出てくる言葉、こちらを揺さぶるところがあります。教えてくれてありがとうございます。

それから、最近、スケッチをのりこさん、たくさん出してくれているでしょ、みんな楽しいです。

 あっ、それから「ヤンバルクイナ」のこと、書いてくれて嬉しかったです。
あれはたまたま描けた絵です。
「Fさん」でなくて、「fua」ないし「ふあ」でいいですよ。
 
  公の名前の他に、「ふあ」という名前を持っていると、楽しいなと思うことが多いです。みんなもそうすればいいのに、なんて思うくらいです。
                          
                 ふあ

***

ふあさんおたよりありがとうございます。
セザンヌとのいい出会いがあって なによりです。
私は10代のとき 画集で出会ったのですが それほどいい出会いではなかったと
思います。ルノワールやゴッホに惚れ込んでいたのです。
ただし 真似をしたくなる絵で これは矛盾。
セザンヌの手紙や詩はふあさんがおっしゃるように 揺さぶられますね(笑い)

いろんな絵がありますが、その絵の中で「これはいいなぁ」というのがありますよね。
ゴッホだって すべてが好きだと云うわけじゃありませんしね。
その好きな所の感触を味わいたくて 自分でもそういうふうに描いたものです。

私の「すけっち」を見て下さってありがとうございます。
パソコンの前に座って 「すけっち」からはじめるのです。その習慣は けっこう
うれしいのです。助走ですね。それをやると次のことがゆっくり考えられるからでしょうか。いやというほどスケッチしています。

「ヤンバルクイナ」一年に一回の絵(たしかまえに そんなことをふあさんは いいませんでしたか?)私はその一年に一回というところが 驚きで 心に留めているところです。なんでもいっぱいやってしまってる私には 驚きなんです(笑い)





 



《 2017.01.16 Mon  _  おたより 》