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かゆい

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Fさんからのおたよりです。


 私は高校時代あたりから、詩にしがみつくように過ごしていた時期がありました。
自分でも詩を書きたいと思い、書いていました。
自分で書いた詩を見ると、いっつも才能ないなぁとガックリ。
でも書きたい気持ちは今でも変わりません。

 詩には詩のための詩みたいなのがけっこう多いです。
詩についての詩といってもいいかな。

 絵を描こうとしているセザンヌの言う「芸術のための芸術」ってなんだろな。
わからないですけど、悩み続けていたんですね。
しょうがないですよね、表現しようとする人は、その思いが募ればつのるほど、
「自分には何にもない」と感じざるをえない。
そこからそれでも出発できるかどうかですもんね。
そんな気がしています。

 ところで言葉って、書き始めるとドンドンと生真面目な方向へいってしまいがちになるので、それを何回もほぐしてゆくのがたいへんです。

 ところで、最近は詩を歌にしてぼちぼち人前で歌ってます。
まるで一発芸みたいな歌です。
受けない時は、「すべった」と思いますね。見せたことありましたっけ?

「脳みそかゆい」

***

Fさん おたよりありがとうございます。

ー脳みそがかゆいのに そとから頭蓋骨が邪魔してかけないー
想像すると こまってしまいます。で どこか別のところからかかなきゃ
だってわれわれこの地球の人間は肉体という 骨というややこしいもので
おおわれているから かけないのね。

この詩のかきかたが 面白いですね。
Fさんは人前にて歌うから 受けたり すべったり
受けると 歌っていて うれしいでしょうね あたりまえだけど。
どんな空気が やってくるの?
絵も 人に受けてるかどうか 気になるものですよね。

セザンヌのいらだちは この「人になかなか受けないこと」にあったんではないかと
私は思うんだけど。やってることには この人は自信があったんだろうなって。
でも このときの何人かの見物人というのは ひどいですね。  
セザンヌはそれにひどく傷ついたと思うんです。

そうすると 「つらい」と「自信」が並行して 態度はかたくなになり だけど絵は描き続けたかった。探偵みたいになっちゃった。

雪がふりました。寒いわー。ホッカイロ 背中とこしベルトに(入れるポケットがあるんだなぁ) 





 
《 2017.01.15 Sun  _  おたより 》