who am ?I

PAGE TOP

  • 12
  • 15

セザンヌの手紙

セザンヌの手紙 ジョン・リウォルド編

青年期(1861年ー1870年)つづき

 エクス美術学校で行われたデッサンのコンクールで彼が2等賞を得たのはこの年である。
これより約2カ年にわたり法科学生としての義務を課せられるのであるが、依然彼の心は芸術の夢にとらわれていて、やるかたなきその情熱を時おりの詩作やデッサンによってまぎらわしていたのである。たとえば、翌年1859年7月ゾラへあてた手紙の中に次のような詩が見られる。

霞のさ中にさまように似た
物思いに耽る時、
君は妙なる幻を見たことはないか?
夜浮かび出て書は消え去る
心を魅する定かならぬ「美」の幻を
君は見たことはないか?
樹々のざわめく緑の丘を
昇る朝日がさんさんと照らし、
空色に映えて
大気が波々ときらめく時、
おぼろな霞がたゆたうて、
やがて訪れる微風に
渦巻き渦巻き追い払われる。
恰も(あたかも)かかる霞に似て、
夜の想いの東雲に(しののめ)
心を魅する数多の幻が
天使の声に送られて
僕の前に現れる。
曙の清い爽やかな光が
それ等幻を彩り染める。
彼らは僕に微笑みかけ、
僕は彼らに手を差しのべる。
けれど、僕が近寄ると
彼らはひらりと飛びすざり、
「さらば!」と僕に云いたげな
優しい一瞥を投げながら
風のまにまに空高く昇って行く。
僕は再び
彼らに近寄ろうとするが、
努力は空しい。
追いすがろうとするが、
甲斐もない。
見れば、空は白々と褪せ(あせ)、
彼らの妙なる姿は何処にも見えぬ。
忽ち夢は消え、
現実に突き戻されて
寒々と悲しむ我が心。
そして眼の前に立ち塞がっているのは
怖ろしい姿をした亡霊、
「法律」と呼ぶところの亡霊なのだ。(大意)

***

むずかしい漢字に とらわれつつ打っていますと
「セザンヌは よーわからへんけど 幻を見たり天使を見たりして
もう すごいやん!」
そう思いました。

ところが最後の
「法律」と呼ぶところの亡霊なのだ。
でちょっとがくっとくるのです。

セザンヌは「いやなことは もうとことんがまんができない青年期」
歌でも作りたくなるほどに
しかし この嫌々エネルギーは こんど好きなことに向けられたら
どんなんやろ と思いましたが

手紙というものは セザンヌとゾラこの双方があったら
見てみたいものだと思うのは私だけですかね?

「君は妙なる幻を見たことはないか?」
とても美しい光景が浮かんで来る詩のような気になってきます
 

《 2016.12.15 Thu  _  1ぺーじ 》