who am ?I

PAGE TOP

  • 11
  • 12

Uターンおたより

スキャン2627.jpeg
夫あやうし! 1994年頃  NEKO美術館発

ふたたび 美保関のしーちゃんからの Uターンおたよりです。

義父や母がまだいるころの話です。しーちゃんにその驚きの真相を 長い手紙で知らせています。
私たち夫婦は 子供のことや 親たちのことで 忙しい忙しいけど 抜け道をさがしてはいろんな近場の所でお茶したりしていました。
そんなときに このことは突然やってきました。
「こわかったー」といったのは 夫が退院してからのことです。風邪だと思っていたところが町医者の先生から 病院に行きなさいといわれて 私は夫を乗せて行きました。
夫は痛い痛いと言います。先生が血圧を測るとうえが60ぐらいにさがって 夫は痛がっています。それからあわてた先生 「家族の方をよんどいたらいいかもしれません」などと言うじゃないですか。私は家に電話して大阪の親戚なんかにお父さんが危ないと知らせて と長女に言いました。親せきも驚いたとお思います。子どもたちもどうなっているんだろうですよね。私は現実味のないまま 突っ立っているような状態でした。

夜になって 私は夫の父が買って話してくれたことを思い出しました。
義父がチブスになったとき 病室で寝かされているのが 義父を入れて3人。
うなされているとき 頭の上をお母さんがしろいつえをもって 義父の上をぐるぐるまわりはじめたのを 感じた(見た?)そうです。その結果 自分以外の2人は亡くなったけれども 義父は生きていたそうです。

私はその様子を想像して こんどは夫のお母さんに お願いをしました。
「どうか 今は夫を助けて下さい。今死なれたら困るんです。そのかわりといっちゃなんですけど 義父のことは最後まで見ますよってに」
そう言って こんどは 気功の先生の真似をして 手のひらを夫の体じゅうに くるくる大きく回しながら てをあわせては くるくるやりました。私も必死です。子供5人に老人2人ですからね。

なにがきいたのか 義母がまもってくれたのか おさまりました。

夫はしばらくからだがしんどいといっていましたが 命拾いしたことに感謝したことでした。そのときはたばこをやめましたし 絵も今まで以上にまじめに描いているようでした。

あとでその結果を教えてもらいましたが 白血球がふえていたから なんらかの菌が体内に入って 肺についたんだということらしかったのです。肺の壁のときはレントゲンに写らないことがあるんだよね 肺に穴があいたり 肺炎になったりするとすぐレントゲンに写るんだそうです。

まぁどっちにしても それからは 義父ががたがたうるさいだの 母に見張られているようだのと いろいろ悪口を言っていた私も その不満の的が移動したみたいで
今のところ平和です。
なんてことを しーちゃんに書きおくっています。

他に子どもたちのことも書いています。
長男は 大阪の前住んでいた 近くの安い文化住宅に移って 職を探しているところです。 不況で1994年ころから職探しはきびしく うまく働き口が見つかればいいと思っています。長女はアルバイトをまじめにやりながら 一人暮らしをするつもりのようです。二女はボーイフレンドの話や服を鏡の前でうつして きめようとしています。次男は釣りの趣味から少年野球へ。阪神ファンでその帽子をかぶって小学6年生というところ。末っ子の息子はあいかわらず やせぎすです。
兄弟は5人です。

義父も母も 夫がこんな病気したりすると 元気そのものに見えたりして。

しーちゃんは忙しいでしょうけど 電話じゃなく 手紙を下さいね。としめくくっています。電話は時に長くなり過ぎて私は眠ってしまうからでした。

それぐらいすぐ眠る私が どうです? 今は眠れないなどと言っているのですから。

義父や母はすでに亡く 20年はたっています。2016年ですからね今は

時のかけらのような この私からしーちゃんへの長い手紙。
それからも いろんなてごわいことが おしよせてきました。
でも ごみひろいや絵をかいたりの日々は たんたんとありました。
てごわいことは 日々を完全にそれで塗り潰すこと はなかったようです。
この手紙を読み返してみて あらためてそう思うんです。
小さな日々は ほんにいいですね。
《 2016.11.12 Sat  _  おたより 》