「蓮以子八十歳」北林谷栄 1993 新樹社
さて、「開頭手術」からの「生還」の顛末に話をもどさなくてはなるまい。
話かわって小学低学年の頃の私は夜毎にオジイチャンのお供で銀座界隈の寄席、席亭をあちこち巡り歩いて耳修行をかさねていたので、日本語の語呂やリズムについては、その年齢にしてはかなりの巧者になっていたようである。八歳頃の得意な芸というのは「賤ヶ獄の七本槍」のめんめんの名前をご披露するというもので、これは当時の軍談ものの名手髭の松林伯()(白痴ではない)の朗々とたたみあげていく勇壮な修羅場のリズムを猿真似したものである。すなわちカトー・キヨマサ、フクシマ・マサノリ、カトー・ヨシアキ、ヒラノ・ナガヤス、ワキザカ・ヤスハル、カタギリ・カツモト、カスヤ・タケノリ、これを一気に唱えると血沸き肉踊るという案配になるのである。
家に来客などがあり酒()の場がダレてくるとレコちゃん(私の本名)の出番である。
「カトー・キヨマサ、フクシマ・マサノリ、カトー・ヨシアキ、ヒラノ・ナガヤス、ワキザカ・ヤスハル、カタギリ・カツモト、カスヤ・タケノリ、賎ヶ獄七本槍の面々でござりますハーッ」と、八つばかりの呼吸もつかずに一気に読みあげておじぎをして引っ込むと、たいていの客は賎ヶ獄の七本槍については全く知識を欠いているので煙に巻かれてニタニタしているだけであったが、客席に連れていってくれた祖父だけは「フーン伯()はそんなこと言ってたかなァ。レコ坊のアタマはてえした頭だ」とほめてくれたりした。「レコちゃんはお利口だ」という定評はこの七本槍の連呼から家の者の間でゆるぎないものになっていったようだ。レコちゃんはいま78歳になったけれど、賎ヶ獄の七本槍はいまでも唯一つのかくし芸としてこのあいだパンクした頭のなかにも大事に蔵(しま)って
あったー。
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唯一つの レコちゃんのかくし芸 「賎ヶ獄の七本槍」いいですねぇ。
酒の席で なんとなくしーんとなったときなど 彼女がこれをやって 空気を変える。
この七本槍の武将たちがだれなのかもよくわからないまま あっけにとられて。
うちの息子もそれににたことをやりますが 長過ぎてもゆっくりすぎてもダレますね。
この早口(たぶん)がコツかな。小さな子供がこういうことやったら さらにうけそうですね。ゆるぎない芸。
レコちゃんは大人のなかでうけてたんや。たしか子供のなかではちょっとズレたようなところなかったですか?
そして大人になって「芸は身を助ける」になっていってる?
さいならさいなら