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シューマン

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「音楽と文化」河上徹太郎 創元社 昭和13年

シューマン つづきです

自分に対する信念には満ちあふれた信女の慎ましくも誇らかな歌声に似ている。これを楽理的に言えば、彼の旋律は決して和声の上に立つものではないが、しかし和弦の連続の各過程を辿って結果的にできたものではなくて、あくまでそれ自ら独自なもので、和声の間に潜む内的な歌の流れをトギレトギレに取り出した、内面的な、朗吟的な片言である。
それは従来のドイツ音楽の骨組のガッシリした和声的旋律に比較すると、和声と韻律はそれ自体の進行にまかせて、旋律は別個の低い、つぶやくような歌声を出す東方の音楽に似ている。その点シューマンは最もドイツ的でなく、後年の、ショパンやとくにドビュッシィの手法に対する先駆者と見るべきである。とくにドビュッシィの初期の作品には、シューマネスクなものが意識的に取り入れてあるのは見逃し難い事実である。

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このページは とてもわたしにはむずかしいです。
シューマンはドイツ的ではなく その従来のドイツ的というのは どんな音楽家がいたのでしょう。この本はショパンから始まります。つまりあらゆる音楽家のことが書いてある訳ではないのでしょう。ベートーベンはドイツ人ですね。いやはやこんなとき この本をてにして 打ちはじめたことを 後悔したりします。とほほ。

しかしシューマンはショパンやドビュッシー クララ・シューマンとつながっていることは知りましたので あとはこの人たちの曲を聴くことですね。しかし毎朝聴くのですが バッハ シューマン ドビュッシー ショパン ベートーベン 曲あてクイズは あたったためしがありません。これもとほほです。

この本で 私が読んでよかったと思うときは その作曲家の子供時代からの話です。

和声と韻律はそれ自体の進行にまかせて、旋律は別個の低い、つぶやくような歌声を出す東方の音楽に似ている。


NEKO美術館に行かしてくださいね。
 ひきだしのある物入れが このパソコンの部屋にあります。
 ホームページもそろそろ終えて夕ご飯の支度に行く日々ですが そのときには部屋は薄暗くなっています。 ふっとその透明な物入れの引き出しを見ますと かたすみに星が一つぼんやりと光っているのです。 それはいつも気になります。 大したことはないんです。おもちゃの星なんです。
これをかってのフリーマーケットで見つけた時「光るよ」とそこの人は言いました。 いくつかかったんですが 外での明るい光のなかでは ただの星形でした。
わたしは こういう話があるととても期待するんです。ちょっとがっかりして 透明な引き出しにいれておいたというわけなんです。アトリエにも置いておいたと思います。
その光に気がついたのは 最近のことです。
やっと信用したという訳です。ささいな話なのだから 短くしようと思ったのに。
《 2016.10.03 Mon  _  1ぺーじ 》