「蓮以子 80歳」 北林谷栄 新樹社 1993
開頭手術からの生還
あたえられた雑文の題目として(仮タイトル)とカッコづけられたこのアィデァには「生還」の当人である私が「なんだとォ?」と笑い出してしまった。どうやら出題者は私の好みも柄もお見通しのようである。こんな洒脱な題で方向づけしてもらうと、「開頭」のあとの空白の容器の中にも何やら感興のようなものがうごめき出すから語感というものはふしぎな作用を持つものだ。
災難の前後のいきさつなどならべても面白いところは何もないので、簡単に飛ばそう。
前年(89年)の夏の盛りの7月19日、フジテレビジョンの仕事でアメリカオレゴン州の撮影に随行していた私は、早朝めざまし時計のベルに飛び起きたその瞬間、頭部前頭葉に潜在的に熟成させていたという動脈瘤をなぜか破裂させてベットの脚元に転倒してしまった。
この病気は巷では「一発」という不吉な呼び名を付けられているとかで、ほとんどの場合は一発で片付いてしまうのが名の由来なのだそうである。
大昔からの友人であり著名な映画プロジューサーでもある伊藤武郎さんが最近「あんたの病気は.....だナ。一発ってヤツだ。俗に、な」といとも無感動に教えてくれたので、私はこのイヤな俗称をそれこそ一発でおぼえてしまった。私の場合はそれこそフジテレビ側の方々の迅速な手配と熱意のおかげで、外来者である我々日本人にはおいそれと動かしにくい救急手段やら、ヘリコプターやらを縦横に調達していただき、あぶない命を救ってもらったわけで、「生還」という呼び方にはなんの誇張もないはずだ。このさい仕事上の付き人として、わが劇団民芸の田畑ゆりさんという中堅女優さんが一緒にきていてくれたわけだが、私の生命がなんとか取り止められたのは、ひとつには彼女の獅子奮迅の働きのおかげがあったにきまっている。
アメリカでの呼び方によると、このタバァタは日常からすばしっこい女性で、一旦これぞと心にきめたら義理も遠慮もあったものではない。おそらく私が倒れたときも、「その病院はどういう病院ですか。北林を収容してもらえるよう交渉を急いでください。おねがいします。急いで下さい」とフジテレビ側に取りついて、キャンキャン吠えたてたにちがいない。私はいつもこういう際には(ウルセナ。ワカテルワカテル、チット黙っテレ)とかそういうにくたらしい独り言を腹の中で言うのが常であったが、このたびばかりはタバァタのテキパキした処置や峻烈な交渉ぶりが私の生命を救ってくれたと、まるで見ていた光景のように信じられるのである。これも私を護っていてくださっている神さまが口の達者な天使を守護としてくっつけて下さったのだろう。
このタバァタが凡庸な人材であったならそれこそ私は今頃焦げた骨粉となって素焼きの壷のなかに盛りあがっている以外の、どんな存在の仕方ができたであろうか。
おかげさまでめでたく生き残った身は、次なる春にさきがけて「ハロルドとモード」などというすてきなアメリカ芝居を徒党を組んで新宿紀伊国屋ホールで上演することができる。生きていてよかった、と自分でも思いたいし、芝居のお客さまにも、あいつが生きていて面白かった、ぐらいは思っていただきたいと、そんなような美しい舞台をつくってみたいと思っている。
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「開頭手術からの生還」ここのページは目で読んでみた限りでは 私には なんのこっちゃらわかりません。この人のひとりごとのようなものが ならんでいるように見えるだけでした。
話は変わりますがきょうの「佐和子の部屋」(そうでしたっけ?)のゲストは落語家(なまえはいつものように出てきません)でこういうことを話していました。
「落語の本を読んでみても ちっとも面白くないのに 師匠がしゃべると面白い そのことにびっくりした」というようなことをその落語家がいったのです。
いえね このことが 今回の話に結びつくようで 目で文字を追っているときは さっぱりわからないのに こうして人差し指で打ってみると わかったのです。それじゃあ これを読んで下さってる方は...ええっと。
タバァタさんは「キャンキャンと吠えまくった」というわけで 大変な事態が起こっていることも 過ぎたこととして面白く書いてあります。
ひごろは 「ウルセナ。ワカテルワカテル、チット黙ッテレ」こんなふうに北林さんは腹の中で言うんだなとおかしくなりました。これらの台詞をうちの夫に教えたら 私のことをこういうふうに言いたがるだろうなと思ったり。
まとまりのない話になってしまいました。北林さんの1ページで十分なのによけいなこと書きたがるから。
さいならさいなら