「ブロンテ姉妹」その知られざる実像を求めて 中岡洋 2008 NHK文学の世界
学校教育ーカウアン・ブリッジとロウ・ヘッド
クロフトン・ホール・スクール
パトリックにとって、子どもたちの教育は重大問題であった。しかし中流階級の子女にしての「たしなみ」と「学歴」を子どもたちにつけさせるのはパトリックのように貧しい司祭にはたいへんな困難であった。そのとき、親身になって考えてくれたのが、すでにお話ししたように、パトリックが再婚の申し込みをしたエリザベス・ファース(1797−1837)であった。エリザベスはパトリックが妻を亡くしたので、子どもたちの面倒を見るのは苦労であろうと考え、子どもたちをどのような学校に入学させたらよいかというパトリックの相談に快く応じてくれた。この問題について、エリザベスが彼女の親戚で親友のフランセス・ウースウェイト(1796−1849)に助言を求めたところ、フランセスは自分が学んだことのあるクロフトン・ホール・スクールを推薦した。この全寮制の学校は、エリザベス自身も1811年から13年にかけて在学していたので、よく知っていた。ファース家もウースウェイト家も医者という裕福な家柄であり、彼女たち自身は自分たちが学んだこのクロフトンを気に入っていて、一流の学校と自負していた。それゆえエリザベスはパトリックにこのクロフトンを薦め、パトリックもエリザベスに言われたとおり、子どもたちをこの学校に入学させたのである。
クロフトン・ホール・スクールはゴールドスミス(1728−74)の『ウェイクフィールドの牧師』(1766)で有名なウェイクフィールドの近郊に位置している。
学校は田園のなかの邸宅であったが、若い女性たちのための寄宿学校としてすでに30年の歴史を有する名門校であった。校長のミス・リッチマル・マングナル(?ー1820)は教育界では高い尊敬を集めていた。なぜなら彼女は有名女学院を経営していただけでなく、教育界で知らぬものがいないほど著名な『マングナル歴史問題集』という標準的
教科書も書いていたからである。その上彼女は年収の五分の一を貧しい人々に分け与えたりする敬虔で寛大な慈善家でもあったのである。
クロフトンでの教育には校長マングナルの書いた『マングナル歴史問題集』が使われ、子どもたちは問題集に書かれている聖書の数節や辞書の抜粋を暗記させられたりした。
また劣等生は劣等生用の帽子を被らせられたり、早く寝かせられたり、嘘吐き、盗みなどには鞭打ちが行われた。その代わり、優秀な子には表彰状が授与され、全校でコンサートやダンスなども催された。
この学校にはシャーロット、エミリ、アンは入学せず、年長のマリアとエリザベスだけが入学した。彼女たちが在籍した期間は正確にはわかっていないが、1823年8月ころの短期間と推定されており、マリアが9歳、エリザベスが8歳のときであった。しかし授業料が高すぎ、パトリックはしかたなく二人を退学させることになったのである。
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もうね 私が読んだ「ジェーン・エア」や「嵐が丘」にはなかなかですよ。遠いですねぇ(笑い)。 「シャーロット家は学校教育は 家でするんちゃうのん?」と思いつつ。
マリアとエリザベスが少しの間通った学校なんですね。『マングナル問題集』はええんですけど そういうものを暗記させられたり、また劣等生は劣等生用の帽子を被らせられたり、早く寝かせられたり、嘘吐き、盗みなどには鞭打ちが行われた。その代わり、優秀な子には表彰状が授与され、全校でコンサートやダンスなども催された。とありますよ。
ええっと 絵本でありましたね「マドレーヌの...」しつけの厳しい全寮制の学校。先生はシスターだったりして。
そのようなところに長くは在籍できなかったマリアとエリザベス。高くつくんですね。
司祭という職業は 上のところからお給料が出てたんかなぁとか そんなに子どもたちに教育を充分つけさせられるほどは もらってなかったんですね。などと。
今日は ここまで さいならさいなら。まだまだ学校で授業を受けている感じです はい。