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ブロンテ姉妹

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ブロンテ姉妹 その知られざる実像を求めて 中岡洋 2008

音楽 

 ブロンテ姉妹は絵画だけでなく音楽にも天賦の才を示していた。ブロンテ家にはピアノがあり、姉妹は1832年にはグリーンウッド(1795−1837)からピアノのレッスンを受けていた。エミリの1834年11月4日(火)の日誌には「アンとわたしはロ長調の曲をおさらいしていない。....サンダーランド先生(1800−55)はリーズの有名な音楽家で、1832年1月にハワースのウェスレーアン・メソディスト・チャペルで、3月にはハワース教会でオルガン演奏をして人々の喝采を受けた。シャーロットもブランウェルも彼を「アンダリア」のなかで登場させ、その名人芸を戯画化している。
 音楽に関しては残念なことに、シャーロットは近視であったので、オルガン、またはピアノ演奏はできなかった。エミリはサンダーランド先生の指導のもとにピアノの才能を開花させ、のちにプロ並みのピアニストの腕前にまで成長した。そしてブリュッセル留学で一層の磨きをかけ、留学先の学校でピアノ教師を務めた。
アンは声楽が得意で美しい声の持ち主であったといわれ、アンが愛用していた「ミュージック・ブック」も残されている。一家は音楽を深く愛し、とくにヘンデル(1685−1759)が好きであった。
 姉妹に対する家庭教育は十分であったといえない。実際、姉妹が学校に入学したとき、さまざまな科目において基礎知識が不足していたと言われている。しかし学校に入学する前のこの時期は姉妹にとってきわめて重要なものとなった。子どもたちだけの創作劇が始まった時期だからである。

***

絵画にも音楽にも才能を発揮した姉妹ですが この一家はこうして家庭教育で ピアノや声楽を勉強したのですね。エミリがピアノに才能を発揮し アンが声楽 シャーロットは近眼でそれらはむずかしかったようですね。そのころはじまった子どもたちの創作劇でシャーロットもブランウェルも「アングリア」のなかでサンダーランド先生を出してみたり
そういうことをしてたんですね。

NEKO美術館のお客様の(ちょっと気取ってしまいました)露覇主さんが その「嵐が丘」のモデルになったところへイギリスの旅の途中寄られたのかな(まちがってても いいですね とにかくイギリスの話なんですから)そのいただいたおみやげとともに この「ブロンて姉妹」のなかの写真が記念撮影。
石鹸やー!わたしもイギリスに行った時 でかい石鹸(切り売りするのかなぁ)をバースというところやいろんなところで見かけました。ブロンて姉妹も石鹸を使ったでしょうね。
1832年頃といえば江戸時代です。石鹸使ってたかなぁ。

さいならさいなら
《 2016.09.30 Fri  _  1ぺーじ 》